式見市左衛門(読み)しきみ・いちざえもん

朝日日本歴史人物事典 「式見市左衛門」の解説

式見市左衛門

没年:寛永18頃(1641)
生年:天正4頃(1576)
イエズス会司祭。肥前国有馬(長崎県)出身洗礼名マルティーニョ。文禄4(1595)年イエズス会に入会。慶長3(1598)年マカオに赴き哲学,神学を学び,同11年に帰国する。同19年の大追放によってマニラに行き,翌年司祭に叙階され,同年8月日本に潜入した。元和2(1616)年再び勉強のためにマカオへ送られ,同6年日本へ再潜入。江戸から陸中(岩手県)盛岡までの関東,東北で布教中,寛永15(1638)年仙台で捕らえられた。江戸で岐部ペドロらと将軍家光自身の取り調べを受け,大目付井上筑後守政重によって穴吊しの拷問にかけられ「念仏を唱え」て背教した。<参考文献>H.チースリク『キリシタン時代の邦人司祭』

(宮崎賢太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「式見市左衛門」の解説

式見市左衛門 しきみ-いちざえもん

?-? 織豊-江戸時代前期のキリシタン。
文禄(ぶんろく)4年(1595)イエズス会にはいり,マカオのコレジヨでまなぶ。慶長19年マニラへ追放される。翌年日本に潜入。元和(げんな)2年勉学のためマカオにおくられ,6年再潜入。関東や東北で布教活動にあたる。寛永15年仙台で捕らえられ,江戸で拷問をうけ棄教。肥前有馬(長崎県)出身。洗礼名はマルティーニョ。

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