…藤原良房の進出した仁明・文徳朝(833‐858)ころよりこの傾向は著しく,藤原師輔は《九条殿遺誡》《九条年中行事》を著して多くの陰陽道的禁忌や作法を明示し,宇多天皇も《周易》に詳しかった。かくて滋岳川人(しげおかのかわひと),弓削是雄(ゆげのこれお)ら名人が輩出し,川人は多数の著作をのこし日本における陰陽道の基礎をつくった。平安中期に出た三善清行も易に通じ,辛酉の歳には革命,甲子の歳には革令があるとの中国の讖緯説(しんいせつ)(周期的予言説)をひいて改元を上奏し,年号を延喜とした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」