通常の知覚や合理的な推論によっては認識できない事がらに関して,一定の〈しるし〉を解釈することによって情報を得る方法。
占いによって明らかにされるのは,現在や過去の隠れた事実,未来のできごと,個人の運命や行おうとしている行為の是非などであるが,実践的な判断を下すことを迫られている個人や集団のために行われるのがふつうであり,答えられるべき問いは,実践的かつ個別的である。たとえば,一般によい住居とはどのようなものかが問われるのではなく,そこに住む特定の家族が繁栄するためには,彼らの住居はどのように建てられるべきかが問われる。したがって占いは単に認識の方法であるばかりでなく,意思決定の方法でもある。
占いにおいては,問題になっている事がらと,それとは異質な文化的・自然的脈絡に属する事象(しるし)とを,両者の相同や類比などを手がかりとして関連づけることによって,前者をめぐる隠れた現実を明らかにしたり問いに答えたりする。たとえばトランプ・カードの配列によって個人の恋愛の状況を明らかにしたり,投げた数個の宝貝の形状によってこれから行おうとしている政治行動の是非を判断したりするように。
占いの方法はきわめて多様で,数えきれないほどある。自然に生起する現象を用いる占いとしては,天体の運行や配置によるもの(星占い),生物の行動によるもの(鳥占いなど),犠牲獣の内臓の形状によるもの(内臓占い)などがある。人間現象を用いる占いとしては,夢,憑霊状態,幻覚,人体の特徴(手相,人相など),生まれた年月日・時刻,姓名によるものなどがある。人為的につくり出した現象を用いる占いとしては,杖占い,くじ,亀甲や肩甲骨を焼いて割れ目を解釈するもの,毒占い,勝負占いなどがある。
内臓占いや星占いは新旧両大陸でみられるが,くじやさいころによる占いは新大陸ではほとんどみられない。新大陸では,夢や幻覚による占いがもっとも一般的である。旧大陸においては,古代アッシリアやバビロニアでは,占星術,肝臓占い,夢占いなどが政治において重要な機能を果たし,占いは高度に専門化していた。これに対して古代エジプトでは,死んだ王の彫像の動きによって,問いに対する答え(肯定か否定)を判断したので,占いの専門化はあまりすすまなかった。古代ギリシアでは,霊媒を通じて神託を受ける方法が,予兆による占いにとってかわって主流となったが,ローマ人はもっぱら鳥占いや内臓占いを用いた。
認識と意思決定の方法としての占いには次のような特徴がある。解釈される事象(しるし)は,多少とも当事者のコントロールを超えているという意味において偶然性を帯びている。当事者たちはこれを偶然とみなさず,超人間的な力の作用のあらわれとみなすが,客観的にみれば,占いは偶然性を利用する。また,政治行動と投げられた宝貝の形状のように,ほとんどの場合,問題となっている事がらと〈しるし〉との間には実在的な関係がないという意味において恣意性がみられる。
さらに当事者をとりまく現実の隠された意味と構造を明らかにするのは〈しるし〉なのであるから,〈しるし〉と既成の状況認識が矛盾する場合には,両者を折り合わせることができるよう,それまで考慮に入れられていなかった要因を組み入れたり,視点を変えたりして,新しい状況認識を構築しなければならない。占いに依拠するかぎり,異質な系列の事象(たとえば天体の配置と人間関係)の間に照応関係を設定したり,ふつうは捨象される偶然的なものや恣意的なものをも意味づけることができるように,それまで自明とされていた状況把握を問い直し,新しいより包括的な状況把握を行うべく努力することなどが要請される。つまり,占いは状況認識を開かれた状態に保ち,ある種の柔軟性の源泉になるという効果をもつ。したがって占いの中には,占星術や易占のように高度に体系化されているものもあるが,一つの体系によって事象を完全に解読するような占いはない。また,霊媒による神託のように,ことばによって情報がもたらされる場合もあるが,受け取る側の主体的な解釈をまったく必要としないものは少ない。結局,占いを支えているのは解釈という営みである。解釈という営みを通じて,占いは神秘的能力や直観や無意識の作用などを活用する。占いはそのような能力によってしか近づけない現実の層を認識し,それに働きかけるための制度でもある。
占いにおける解釈はまったく恣意的になされるわけではない。占いに用いられる事象は象徴的な意味をもっているし,投げられた木片や木の実などの形状(しるし)が意味するものの総体(易の卦辞やヨルバ族のイファ占いの詞(ことば)など)は,それぞれの社会におけるさまざまな人間的状況に対応し,ことばに移しかえられた世界ともいうべきものである。したがって占いは,特に微妙で困難な状況や意思決定などを,それぞれの文化的脈絡の中に明確に位置づけるという側面をもつ。占いは〈万物照応〉という世界観のもとで,類推や隠喩を駆使する思考に支えられて発達した。個人という小宇宙は天空という大宇宙を映し,投げられた宝貝や木の実の配置は,個人をとりまく社会的状況を表す。あるいは,東西南北という方位のそれぞれが特定の時間,天体,元素,社会現象,心理的特性と対応していたりする(陰陽五行説など)。そして,現実のこれらの諸側面は,単に照応し合っているばかりでなく,互いに実質的な影響を及ぼし合っていると考えられている。
少なくともわれわれが知るかぎりでは,占いは人類社会に普遍的に存在している。しかも多くの社会において,個人と集団の生活にとって欠くことのできない重大な役割を果たしているのである。占いは,認識と意思決定における人類に普遍的な様式と見なされるべきものである。
執筆者:阿部 年晴
西洋でも占いは古代ギリシア・ローマを中心に広く記録されている。それらは,予言,神託,託宣,夢解き,前兆,犠牲の卦(け)など,さまざまに表現されるが,いずれにしても,超自然の領域と人々の日常的世界との間の交流がきわめて頻繁にとり行われていたことを示している。
その技術は多岐にわたるが,主として,(1)夢による占い,(2)木の枝または棒による占い,(3)犠牲獣の臓物による占い,(4)鳥をはじめとする動物による占い,(5)星座群による占い,の5項目が挙げられよう。
夢による占い,すなわち夢占いは,ホメロスの《オデュッセイア》にも言及されているように最古のものの一つである。夢が古代世界において実質的な役割を果たしていたことは広く知られている。プルタルコスによれば,アレクサンドロス大王は遠征に〈夢解き〉の神官を帯同したとされているし,夢見のための〈籠(こも)りincubation〉は想像以上に広い範囲で行われていたようである。それは古代医学とも密接に関係していたようであり,たとえば,パウサニアスは,《ギリシア記》の中でアスクレピオス神殿における病気治療について次のように記している。病人は種々の儀礼的な手続を経た後に,水を浴びせられ,身体を擦(こす)られ,香を焚(た)かれ,一種の恍惚状態のうちに,犠牲に捧げられた獣(牡ヤギなど)の毛皮の上に眠りこんで,夢を見る。夢の中で病人は神のお告げを授かり,それを神官が判じ解くのである。既に,アリストテレスは,夢が神から送られてくるものではなく,人間の精神の機構と結びつくものとみなしているが,それでも,この夢見のための籠りは近世に至るまで一貫して世界の各地で行われ続けたのである。2世紀初頭に生まれたアルテミドロスは,ギリシア・ローマにおける夢占いの実際をもっとも詳細に記した人物であるが,その《夢判断》は,マクロビウスの《スキピオの夢》とともに,古代後期の夢占いの体系をよく伝えている。
木の枝または棒を用いる占いも起源は古い。P.C.タキトゥスやサクソ・グラマティクスによれば,ゲルマンやスラブの人々の間で柳の木の枝などを使ってさまざまな占いが行われたと伝えられるが,ヘブライにおいても,ひとにぎりの木の枝や棒を地面に投げ,落ちて並んだときの模様(パターン)を読む占いが行われていた形跡がある。中国の易の起源もこれにあるとされるように,その技法は複雑多岐にわたるが,基本的には,地面に投げてつくられる模様を読んだのであろう。後には,動物の指関節の骨,貨幣,歯なども使われた。あみだくじもそのバリエーションの一つであり,さいころの起源もここにある。なお,占い杖dowsing rod(divining rod)を使う水脈や鉱脈の探索もよく知られている。
犠牲獣の内臓による占いは,起源はバビロニアにあるとされるが,古代ローマを中心にヨーロッパでも広く見いだされる。供犠に捧げられた動物の肝臓が特に用いられたのは,かつては,もっとも生命力にみちた器官は心臓ではなく肝臓とされたためである。儀礼的な手続を経た後,動物の肝臓が取り出され,その形状,色,大きさ,斑紋などから,来たるべきできごとが読みとられた。もちろん内臓だけでなく,動物の肩甲骨を火にかざして,いくつかの方向にひびが入ったところでそれを読みとり,吉凶の判断を下すことも行われた。
動物の所作を観察することに基づく占いもさまざまであるが,なかでも鳥占いはもっとも有名である。古代ローマでは,そのための特殊な神官組織アウグレスauguresがつくられている。当初は王を含むわずか3名のメンバーによって運営されたが,カエサルの時代に至っては16名に増加している。彼らは夜に丘の一角に位置を占め,鳥の出現を待ち,鳥の種類,数,飛び方,さえずりなどを観察し,解釈を下すわけである。
ヨーロッパの占星術は,バビロニア起源のもので,ヘレニズム時代にギリシアに入り,プトレマイオスの《テトラビブロス(四書)》に集大成された。それは,地上の事象を天体,特に惑星の運行と結びつけて解釈し,個人および社会の運命をそこから読みとるものである。キケロはその《卜占論》で占いを自然によるものと人為的なものとに大別しているが,占星術は前者の代表的なものと言えよう。ウェルギリウスなどがカエサルの暗殺を彗星出現と結びつけて解釈しているように,他の天変地異による占い(たとえば,日食,月食,オーロラ,地震,彗星など)もまた広く記録されている。
以上のほかにも,人間の身体に由来する占い(くしゃみ,痙攣(けいれん)などを前兆とする),聖書や韻文の書(ホメロスやウェルギリウスなど)を無作為に開き,そこにある章句より示唆を得る占い,トランプやタロットによる占い,水晶,鏡,水面に現れる神,精霊,祖先のお告げを読む占いなどが有名である。
そもそも占いとは,表面に現れた現象(兆し)から隠された未知のできごとを読みとる技術なのであるから,直観とかインスピレーションの類(〈虫の知らせ〉〈胸さわぎ〉など)が大きな役割を果たす場合もある。ただし,本来は,一つの事象系列(人間の運命など)を他の事象系列と対応させる技術なのであり,その技術を取り扱う専門家は,宗教的職能者の領域に属することになる。なぜなら,その技術は,占い師の魂が彼をとりまく全世界へと開かれ,それと接触するという宗教的観念に基盤を置くからである。西洋古代ではシビュラの予言をはじめとして,ギリシア各地に見られる神託所(デルフォイ,ドドナ,レバデイア,アンモンなど)が隆盛をきわめたが,それらは,神的または悪魔的な力が巫女または巫覡(ふげき)にとり憑(つ)いて予言を伝えるものとされる。ただし,ドドナの神託に見られるように,その起源においては,オークの木々のそよぎを神の声として聞きわけるといった類のものと伝えられるし,また,アンフィアラオスの神託に見られるように,夢のお告げに属するものも少なくなかったであろう。
さて,キリスト教世界に目を転じると,初期のキリスト教徒以来,占いは信仰生活にとって危険で,無意味な不安を助長するものとして排斥されてきた。旧約聖書の《創世記》にはヨセフの夢などが記載され,古代の習俗の一端をかいま見させてくれるが,新約聖書になると,夢が啓示の方途であるとか星が導きのもとになるとかいう記載があるのは,《マタイによる福音書》だけである。イエスがベツレヘムで誕生したとき,東方から来た3人の博士(マギ)たちは次のように言った。〈ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは,どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので,そのかたを拝みにきました〉(《マタイによる福音書》2:2)。4世紀にローマの国教となったキリスト教は,魔術や諸種の占いを禁じ,それらを異教の迷妄として厳しく糾弾した。ティベリウス帝は,犠牲獣の内臓占いを禁じ,当時の元老院布告は,ローマから占星術師や諸種の占師を追放している。その結果,占いは公的・国家的な場での役割を失うことになるが,それはもちろん占いそのものの根絶を意味するわけではない。キリスト教会にしても,夢占いを,神からの啓示の性質をもつかぎり許容していたし,さまざまな占いがキリスト教に外見をかりて生きのこっていったのである。
そして,ルネサンスを迎えて,占星術をはじめとするさまざまな占いが再び盛行しはじめる。ドイツの皇帝ルドルフ2世も,ケプラーの師であるブラーエに自分のホロスコープを作成させているが,当時は,人体の各部分(ミクロコスモス)と天体の配置(マクロコスモス)との間に著しい照応が見られるとして,特に占星術と結びついた手相学や人相学などが流行したのである。そうした傾向は近世に入ってさらに促進され,多くの予言者,占星術師,神秘家が登場するが,なかでも16世紀にシャルル9世の侍医をつとめたノストラダムスは有名である。
近世以降にも,ラーファター,F.J.ガルなどが登場し,人相学,骨相学はさらなる発展を示すわけであるが,それは同時に占いから宗教的側面が失われ,世俗化・遊戯化していくプロセスとも言えよう。だが,ホロスコープやタロットによる占い,筆跡判断などが現在でも周期的に流行を繰り返していることからみても,占いには人間の精神の働きと結びつく何かが隠されているのではないかと思われる。
執筆者:植島 啓司
中国では,竜山文化期(前2100年ごろ)にすでに占いがなされていたことが近年の出土資料によって判明している。この亀甲や獣骨のひび割れによって神意をうかがういわゆる亀卜(きぼく)は,殷代になるとさかんに行われたが,次の周代には筮竹(ぜいちく)による占いが台頭してくる。亀卜はその後も用いられたが,占いの本流は筮に移行してゆく。筮の方が亀卜に比して操作や道具立てが簡便であったし,との符号の組合せと数的秩序にもとづくそのメカニズムは原理化や普遍化が容易であり,合理性を好んだ周人には〈科学〉的にみえたからであろう。やがてそのテキストである《易経》が整備され,漢代にそれが経典となるにいたり,筮=易の地位は不動のものになっていった。亀卜の占例は殷代の卜辞(甲骨文字)によって知られるが,それによれば,祭祀,軍事,狩猟,天候など国家的行事の吉凶が占われた。周代の占筮の具体例は残っていないが,《左氏伝》や《国語》には《易》にもとづく10余りの実占例がみえ,そのなかには周代の占法を伝えるものもあるといわれる。その占いの内容は,戦争のほか,結婚,仕官,身の将来,死期といった個人の命運にかかわるきわめて人間くさいものが多い。
漢代になると,《易》は天文学,暦法,音律学などと結びつき,それによって政治のよしあしや災異を占ったが,その一方で,この頃にはすでに市井の売卜者が繁華な街角に姿を現してきている。《史記》日者列伝によれば,司馬季主なる易者が長安の市場で店を張っていたという。現行の日者列伝には後人の手が加わっているとされるが,しかし司馬遷が日者列伝を立てたこと自体,当時数多くの売卜者がいたことを物語っていよう。《史記》にはまた亀策列伝も立てられている(これにも後人の筆が入っているが)。《漢書》によれば,厳君平は成都の市場で売卜をして暮らしていたが,彼は〈卜筮は賤業ではあるが人々の役に立ちうる〉と考え,卜筮にことよせて人の道を説いたという。売卜は賤業とみなされていたが,れっきとした官僚でも進退きわまったときにはしばしば筮竹を握った。南宋の朱熹が政敵の弾劾文を上奏しようとした際,その可否を卜して〈遯(とん),家人に之(ゆ)く〉の占いに遭い,やむなく断念してその草稿を焼き,それ以後〈遯翁(とんおう)〉(遯は隠遁の意)と号したというのは有名な逸話である。
卜筮者は歴代,太卜という下位ながら官僚組織のなかに組みこまれたが,中国では天文学者も太史局,司天台,欽天監(きんてんかん)などと呼ばれる官僚組織の一員であり,彼は同時に占星術師であった。というのも,この国では古代より天帝の意志は天空という大スクリーンに示されると信じられていたからである。天体の常ならぬ動きは,やがて地上においてある異変となって顕現するだろう。したがって天命を代行する天子は,たえず天空に目を凝らしておらねばならない。とりわけ日食と月食と彗星の出現は,いまわしい事変の予兆として不気味がられた。漢代には董仲舒(とうちゆうじよ)によって災異説がとなえられ,自然界の異常現象は君主に対する天の警告だと考えられ,自然と政治がいっそう緊密に結合された。
こうした正統的な占いの一方で,ひと口に雑占と呼ばれる種々雑多な占いが民衆のあいだでもてはやされた。たとえば籤占がある。これは五代の末ごろ(10世紀半ば)にはすでに広まっていたらしいが,仕組みは日本のおみくじと同じであって,違うところは漢詩(いわゆる籤詩)で占断が表現されているくらいなものである。関帝廟なら関帝籤というふうに,それぞれの廟(道教のお寺)にはその主神の名を冠した籤が置かれていたが,薬籤と呼ばれる奇妙なものもある。たとえば華佗(かだ)(古代の名医)薬籤には病気の手当てや薬の処方が書かれてあるし,呂祖(呂洞賓(りよどうひん)という道士)薬籤になるともっと芸が細かく,男,婦,幼,外科,眼科の五つのコースに分けてあって,該当の籤をひくと,籤詩のあとにやはり薬の処方箋がまことしやかに書かれている。
籤占と同様,いまも台湾や香港などの廟で人気のあるものにポエがある。1対のポエを地上に落とし,裏と表の組合せで吉凶を占うのだが,1個が表で1個が裏なら願い事がかなうとされ,その目が出るまで何度も繰りかえす。ポエはすでに六朝梁の《荆楚歳時記》に〈教〉としてみえており,唐代には〈杯珓(はいこう)〉と呼ばれて流行していたらしい。また,扶箕(フーチー)という日本のこっくりさんに似た占いも,いまなお廟で行われている。人相・骨相もすでに戦国時代の《荀子》非相篇に〈いにしえには姑布(こふ)子卿あり,今の世には梁に唐挙あり,人の形状顔色を相(うらな)いてその吉凶妖祥(ようしよう)を知る〉とみえるから,その起源は古い。中国には,内なるものはかならず外に現れるとする考え方があり,英雄やその可能性を秘めた人物にはどこか特異な身体的特徴があるとされる。相占はこの外に現れたものを手がかりに(痣(ほくろ)のようなものでも重要なきめてになる),内に隠れたものを探り出す占いといえよう。その他,古代からある夢占い,時の吉凶を占う六壬(ろくじん)・遁甲(とんこう)・太乙のいわゆる三式,風の方向や音によって吉凶を占う風角占,文字占いの測字(拆(たく)字,破字,相字),墓の地形方角と子孫の吉凶を結びつける風水,鶏の足を使う鶏卜等々,枚挙にいとまがない。このような無数の占いの底にあるものは,あらゆる事物はたがいに感応の糸によってひそかに結ばれているとする思考であろう。
執筆者:三浦 国雄
〈うらない〉という語は,隠された裏の世界を知って表の世界の事象と照合させる〈裏合い〉に由来すると一般に考えられているが,木の幹に対する末(うれ,うら)つまり小枝の先端部の変化によって占いをしたことに由来する語との説もある。日本では,鹿の骨を用いた太占(ふとまに),中国から導入された亀甲を焼いてする亀卜,陰陽五行説による易占などが,国家的レベルで行われた占いであった。律令制のもとでは亀卜は神祇官の卜部氏が管掌し,易占や星占いなどは陰陽寮の陰陽師・宿曜師が管掌し,官卜寮占と併称された。とくに陰陽道は,奈良・平安朝期の宮廷社会の人々に大いにもてはやされた。天皇や貴族たちはささいな天変地異までも陰陽道の占いを頼み,その日常生活は細部にわたって陰陽道思想の統制下に置かれていた。
これに対して,民間のレベルでは,年頭や農耕開始期に,その年の作物のでき・ふできや天候の良し悪しを予知するため(年占(としうら)),あるいは天変地異や病気などの災厄の原因を知りそれを除くためなどに,さまざまな種類の占いが行われてきた。たとえば,競馬や相撲,石合戦,綱引きなどの競技の勝敗で判断する競技占い,粥(かゆ)の中に沈めた筒の中に入った粒の数で判断する粥占(かゆうら),社寺の境内の石を持ち上げてその軽重で判断する石占,つえや棒,銭,下駄などを投げて占う投げ占,大豆のこげ具合で判断する豆占,鳥の鳴声や飛ぶ方向で占う鳥占い,町の辻に立って行きかう人の話を聞いて行う辻占(つじうら),くじを引いて判断するくじ占い,夢の内容で吉凶を判断する夢占いなどがよく知られている。
占いはそれを信じる人々にとって人生の道先案内人であり,活力の源泉であり,精神安定剤もしくは不安定剤であった。人々は占いによって神意や未来や過去を知り,それに一喜一憂しながら自分の取るべき行動を判断し,そのようにして人生をすごした。したがって,そのような時代の人々の生活や歴史を考えるとき,占いの果たした役割を無視することはできない。また,科学的思考が支配的な現代においてさえも,遊戯化してしまった部分も多いが,占いは生きており,人間の精神と行動になんらかの効果をもたらし続けている。
執筆者:小松 和彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
俗信のうち、予兆を判断する技術。自然現象や生理現象を判断するものと、人為的に何かの現象をつくりだし、それを判断した結果に基づいて、別の何かを予知しようとするものとがある。知ろうとする事柄は、物事の真実、神霊の意志、未来のできごとなどで、その方法はきわめて種類が多い。占いは俗信上の行為であるから、洋の東西、文化程度の高低にかかわらず存在するものであるが、原始的な社会では、より多く政治に結び付き、その結果に対する信頼も強い。文化的な社会では、趣味的にとらえられて遊びの要素が強まってくる。ヨーロッパでは、バビロニアにおこったといわれる占星術や、動物の肝臓などによって占う内臓占いが早くから発達し、また、占杖(うらづえ)によって地下水や鉱脈を探ろうとする占い法、なにげなく本を開いて、まず目に入った文章を指針にする開典占い、キリスト教徒がこれを聖書で行う聖典占い、トランプで占うカルタ占いなどが著名であるが、夢占いや茶占いのように、日本とも共通、類似のものもある。
[井之口章次]
中国の占いは、日本にも強い影響を及ぼしている。代表的なものは、獣骨やカメの甲を使った占い(これを卜(ぼく)という)と、筮竹(ぜいちく)と算木を使った占い(これを筮(ぜい)という)である。獣骨はウシの肩甲骨、カメは腹部の甲を主として用い、これを火で焼いてできた「ひび」のようすから吉凶を占うもので、これを判断するためには専門の役職も置いた。筮は陰陽(いんよう)の算木と筮竹(いまは50本)の算術的操作に基づき、その組合せによって判断するもので、判断の典拠である『易経(えききょう)』は五経の一つとして古来重んじられてきた。『易経』の原理を応用し、筮竹と算木を用いた周易は、民間において大いに発展し、五行(ごぎょう)説や干支(かんし)説を取り入れた、いくつもの流派ができた。のちには筮竹も算木も使わず、銭などを用いる易占が一般化してきた。日本でも古代にはシカの骨による占いが基本で、太占(ふとまに)とよばれた。奈良時代には中国から亀卜(きぼく)の法が輸入され、各地にこの占いを世襲的に伝える者が住んでいたらしいが、朝廷でも対馬(つしま)、壱岐(いき)、伊豆(いず)の3か国から20人の卜部(うらべ)を集めたことが『延喜式(えんぎしき)』にみえている。
[井之口章次]
日本の古典に現れる占いには、琴占(ことうら)、歌占(うたうら)、水占(みずうら)、夕占(ゆうけ)、辻占(つじうら)、橋占(はしうら)、足占(あうら)、鳥占(とりうら)、石占(いしうら)、投占(なげうら)、くじなどがある。琴占は巫女(ふじょ)の神降ろしと同類のもので、単調な琴の調べの間に神秘的な境地に誘い込み、その言動によって判断したものであろうし、歌占も巫女の唱える歌により、のちには歌占の本や「百人一首」を利用するようになった。水占は神前で水に姿を映し、あるいはその水を飲んで占った。夕占は夕方に道行く人のことばを小耳に挟み、それで判断するもので、辻占や橋占も、それぞれ辻や橋のあたりで同様のことをするものである。足占は歩数で判断するもので、また唱え言をしながら歩き、止まったときの語のいかんによって判断する方法もあったらしい。鳥占は鳥の鳴き声や飛ぶ方角により、石占は特定の石を持ち上げ、上がるか上がらぬか、重く感じるか軽く感じるかで占い、投げ占は物を投げて占う。杖(つえ)の倒れる方向で占う杖占(つえうら)も同類のもので、のちには銭を投げて表裏で判断する占いも発達した。くじはいまも盛んに行われ、種々の方式や道具がある。
[井之口章次]
占いの目的は、真実の探求、選定・選択、未来の予測の三つに要約することができよう。まず、真実の探求である。物事の真実を知りたいという欲求は、人間にとって基本的なものである。災害や病気や死亡の原因を知ろうとする。失(う)せ物や盗品の所在、あるいは盗人の探求なども、卜占の目的の一つであった。ただ、その手段方法が恣意(しい)的であり、偶然に左右されることが多かったために、より進んだ科学的な方法が考え出され、卜占による真実の探求は、たあいない遊びになってしまった。次には選定・選択という目的がある。人生や日常生活のなかで選定・選択を迫られる場面が数限りなくある。そういう場合に、判断力のある人は、自分で自分の方向を決め、親兄弟や先輩、知友の意見を聞く。しかし現実には占いに頼る人も少なくない。3番目には未来の予測である。人はだれも未来を正確に知ることができない。科学は、理論的に実証的に未来を予測する技術だということができようが、卜占は直観的にそれをとらえようとする。宗教も直観的にとらえようとするが、卜占のほうが、より偶然的であり連想的である。実際に知ろうとしていることは、この1年を幸福に過ごせるかどうか、健康でいられるかどうか、農作の豊凶、漁の漁不漁、狩りや山仕事の首尾、商いの成否、金銭の運不運、天候や災害、結婚の成否、生児の男女や将来の予測などで、現在行われている卜占の目的とするものには、きわめて世俗的、功利的なものが多い。
[井之口章次]
占いの方法には、前兆を判断するものと、一定の技術による卜占術というべきものとがある。前兆判断のなかには経験知識に基づくものもあって、天気予報のように因果関係の証明できるものもあるが、一般には統計処理の技術が拙劣であり、直観と連想だけが判断の基準になっている。卜占術には、古くは星占い、骨占い、筮竹(ぜいちく)によるものなどが著名であるが、賽(さい)を使うもの、くじによるもの、手相、人相、骨相などと、専門的な知識や技術を要するものが多く、後世も売卜者がほとんど職業的に行っている。江戸時代以来の辻占売りの類は、専門技術をもたないもので、辻占煎餅(つじうらせんべい)と称する巻煎餅の中に、占いの結果を書いた紙を巻き込んだり、辻に立って売ったりしたものである。
現在各地で行われている占いには、村など集団の行事として全員が関心をもつものと、個人的なものとがある。集団行事の占いは、氏神を中心に行われたり、神事に伴うものが多い。1年の初めにその年の吉凶や農作の豊凶を占うものに年占(としうら)がある。年末から正月にかけて、または小正月(こしょうがつ)や節分にすることが多く、種類も多い。臼伏せ(うすぶせ)は、餅(もち)をついて柔らかいうちに、盆に米を敷いていくつかの餅を並べ、一つ一つの餅を早稲(わせ)、中手(なかて)、晩稲(おくて)などと決めておく。それを臼を伏せた中に入れておき、数日後に取り出してみて、どの餅に米粒が多く付着しているかによって、稲のできを占う。ときには、餅にカビの生えている状態によって、作(さく)を占う場合もある。粥(かゆ)の中に小さな竹筒を幾本も入れて煮、どの筒に飯粒が多く入ったかをみる筒粥、いろりの灰に大豆(だいず)を月の数だけ並べ、焼けぐあいで月々の天気をみる豆占、綱引、相撲(すもう)、競馬(くらべうま)、的射(まとい)などをして、勝った側に幸があるとするもの、とんど焼の煙のなびく方角によって判断するものなどがある。個人的なものでは、茶柱の立つのを見て来客を予想したり、鳥居に石を投げ上げて、うまくのると縁談がかなうように言いはやしたりする。観天望気で天気を予想するのも、本来は占いの一種である。
これら占いの技術は、実験や論証の過程をもたず、直観的、恣意的なために近代科学に反するものが多いが、経験知識を基にして予兆と結果との因果関係を追究しようとする態度そのものは、近代科学を発達させる温床となった。
[井之口章次]
世界の諸民族の占いは、きわめて多くの形態をもつ。しかしその本質が、ある事物や現象の出現、状態などを、その経験的属性とは別のなんらかの情報を与える「しるし」と考え、そのしるしを解読したり解釈することによって、過去、現在、未来の隠された事実、吉凶などを知ることにあることは共通している。つまり、広い意味で占いに用いられるしるしはシンボルとしてとらえられており、占いは人間のシンボル操作活動の一つといえる。
占いに用いられる事物や現象は、〔1〕人間に関するもの、〔2〕自然物や自然現象、〔3〕占い用にくふう・考案された道具や技術、に大別できる。
〔1〕人間に関するもの
(1)体つき、顔、頭、目、額、手、足、爪(つめ)、ほくろ、しわ、指紋、手相、血液型など人間の肉体的特徴によって占う。これらは主としてその特徴をもつ個人の運命にかかわる占いであるが、双生児、身体障害児の出生はしばしば霊的存在が関与しているとみなされ、本人だけでなく共同体全体の運命の予兆としてとらえられる。また、ある種の病気、たとえば皮膚に異常をおこす病気や精神病が占いの対象になることも多い。
(2)人間の統御できない、発作的、無意識の行動によって占う。その一つは、くしゃみ、げっぷ、しゃっくりなどの生理的動作で、とくにくしゃみは多くの社会で凶兆とされる。習慣的動作(癖(くせ)、筆跡など)や、見聞した他人の動作によって占う場合もある。夢占いも世界に広く分布している。この場合、夢のなかに現れた事物、色、方位、方向などがその文化の世界観や象徴体系に基づいて解釈される。神霊や精霊に憑依(ひょうい)されて忘我陶酔状態になったシャーマンや霊媒の言動による占いも広く行われている。ただしこれらは、神、祖霊、精霊などに問うという形の占いであり、託宣、予言ともいえる。
(3)そのほか、出生の年、月日、時間、名前による占い、家相や墓相占いなどがある。
〔2〕自然物や自然現象
(1)日食、月食、流星、新星や異様な星の出現などの天文現象、風、雲、雷、雪などの気象、地震その他の天変地異によって占う。この場合とくに異常性が占いの対象となる。
(2)動物、植物を用いる占い。鳥類や獣の行動、鳴き声、形状によって占う。とくに特定の鳥の出現や行動がしばしば占いの対象になる。鳥は天と地の間を自由に飛び回れることから、天と地の媒介者、神や精霊の意志を人間に伝えるものとされる。例をあげれば、ボルネオ島西部のサラワクの民族集団イバンでは7種の鳥による鳥占いがある。これらの鳥は最高神の娘婿とされ、神の意志を伝える使者であり、鳥の鳴き声、飛び方、色、形などによって占う。フクロウが不吉な鳥とされる所は多く、たとえばアフリカの諸部族ではしばしば妖術(ようじゅつ)師の使い魔とされている。このほか、異常な動植物(たとえば白変種)の出現も占いの対象となり、また動物の内臓(とくに肝臓)を用いる占いが古くからあり、たとえばバビロニアでは神に捧(ささ)げたヒツジの肝臓で神意を占った。
〔3〕占い用にくふう・考案された道具や技術
(1)日本のこっくりさん式の無意識の筋肉運動を利用した占い、偶然に意味をもたせようとするくじ、作卦(さくけ)、トランプ占いなどがある。アフリカのアザンデ、レレなどの民族集団では摩擦台板とよばれる占いの道具が使われる。
(2)熱湯(日本の盟神探湯(くかたち)など)や毒物を用いる占い。たとえばアザンデ人はニワトリに毒を飲ませて占う。
占いは個人的、私的な目的で行われる場合と、社会的、公的な目的で行われる場合がある。後者の場合、とくに古代社会や未開社会では、占いは国家や共同体の統合にとって非常に重要なものとなり、しばしば公的制度に組み込まれている。また占いの技術を習得している者、占い師は、他の人々から恐れられるだけでなく、社会的権威、地位は高く、ときには王自身が天や神の意志を占う占い師を兼ねる。
占いは非科学的とみなされがちだが、しるしの解釈はでたらめにその場その場で行われるのではなく、そこには一貫した論理があり、一つの体系を形成している。たとえば、ボルネオ島のイバン人は、鳥が人の前を右から左へ横切るのは吉、逆は凶としたり、インドのプルム人は、子供の命名式のとき殺すニワトリの右足が左足の上にあると吉兆とする、あるいはメキシコのマヤ人の間では、病気治療儀礼のとき犠牲(いけにえ)のニワトリが首を東に向けて死ぬと病気が治るとする、などの例が示すように、多くの場合、右、上、東などは吉兆を示すとされ、左、下、西などは凶兆とみなされる。占いはたいてい二元論的世界観(三元論、四元論、五元論などもある)に密接にかかわっている。占い師はそのような世界観に基づいてしるしの解釈を行うのである。しかし、しばしば占い師自身の解釈の余地がかなり残されており、それが占い師に悪用されることもある。また占いの目的や依頼者の社会的背景を判断の材料に加えることも多く、たとえば邪術や妖術にかかわる占いの場合、占い師は社会内のさまざまな人間関係を考慮に入れる。
[板橋作美]
『井之口章次著『日本の俗信』(1980・弘文堂)』
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…がらがらはほとんどの民族が,乾燥した木の実を振ると中の実が音をたてることから発見しているが,こうしたことへの興味と関心は,たしかに柳田が述べるように〈まだ,人間が一般に子どもらしかった頃に〉おとなたちがその機能を不思議がり,これを宗教的な用具にみたてたことは容易に想像できる。そして,これらは不思議な機能によってそのほとんどが占いの用具に使われ,やがておとなたちの賭博に使われていくものが多かったようである。このように,起源においておとなの社会にとって神聖な用具であり,特別な意味をもっていたものが,子どもの遊び用具として使われるはずはなかった。…
…医術は,インド,イラン,中国系医学に,チベット独自の知識も加えられ,医学(ソリク)として体系づけられたが,名医の治療よりも呪術的祈禱が好まれ,18世紀半ば以後では薬草学的知識が政権争奪の具に供されたため,近代では医学知識の普及そのものがきびしく制限された。 占いや降神術は盛んで,国政の大事を決めるのにネーチュンやサムイェーの護法神の神託が重んじられ,答を書いた紙片を複数のツァンパ団子にこめ,護法神の前で碗の中に回転させ,飛び出したものを答えとするタクディルもよく行われた。暦は各流とも時輪タントラに由来し,1027年を第1回の火のと(丁)卯として60年で一巡させ,32.5ヵ月に1度閏月を置いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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