弘岡下ノ村(読み)ひろおかしものむら

日本歴史地名大系 「弘岡下ノ村」の解説

弘岡下ノ村
ひろおかしものむら

[現在地名]春野町弘岡下

弘岡中ノ村の東に位置し、南は新川しんかわ川を隔てて森山もりやま村、北は根木谷ねきたに山を隔てて土佐郡朝倉あさくら(現高知市)。「土佐州郡志」は「其土多砂石」と記す。天正年間(一五七三―九二)の長宗我部検地の頃に弘岡村が分村して成立したかと思われる。慶長二年(一五九七)の再検地による弘岡村地検帳には「下村」とみえ古川ふるかわ堀家ほりけ東谷ひがしだに・根木谷・北山きたやま本広もとひろ伊与川いよがわ大小路おおしようじほかの小村が含まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む