日本歴史地名大系 「弟子丸村」の解説 弟子丸村でしまるむら 鹿児島県:国分市弟子丸村[現在地名]国分市清水(きよみず)・中央(ちゆうおう)一丁目・城山町(しろやまちよう)川原(かわはら)村の北、国分平野の北東部に位置し、南は上小川(かみこがわ)村、北東は郡田(こおりだ)村。中世の弟子丸名の遺称地。また一帯は古くから清水ともよばれ、地内には中世の清水城跡がある。近世には清水郷に属していた。同郷の地頭仮屋は当地に置かれ、新田馬場(にいたばば)・羽坂(はざか)・玄亀庵(げんきあん)・大山(うやま)・平等(びようどう)・寺馬場(てらんばば)・牟田(むた)・内馬場(うちばば)・豊之口(とよのくち)・北迫(きたざこ)・安田口(やすだぐち)および山之路(やまのじ)村の飛地和田(わだ)・坂上(さかんうえ)・落水(おちみず)などにわたって麓が形成されていた(国分郷土誌)。建武四年(一三三七)肝付兼重らが率いる南朝勢が大隅国に侵入、郡田や「清水寺」に向城を取って翌五年三月まで橘木(たちばなき)城(曾於郡城)や姫木(ひめぎ)城に拠る北朝方と戦っている(同五年三月二三日「重久篤兼軍忠状」旧記雑録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by