日本歴史地名大系 「清水城跡」の解説
清水城跡
しみずじようあと
応永二〇年一二月七日、伊集院頼久勢が当主島津久豊不在の隙に当城を攻め、その際城の城戸口を預かっていた北原氏の家臣が頼久勢を引入れたという(山田聖栄自記)。久豊は東福寺城に戻り、軍勢の到着を待って
清水城跡
しみずじようあと
清水本郷の対岸、通称
当城は、出羽横手城主小野寺氏の客将
清水城跡
きよみずじようあと
国分平野の東側、
清水城跡
しみずじようあと
清水の集落南方約五〇〇メートルの地点にある。
天正六年(一五七八)の御館の乱に際して、上杉景勝が上杉景虎方に加勢した北条氏の軍の攻撃に備えるため、三国峠口の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報