国分市(読み)コクブシ

デジタル大辞泉 「国分市」の意味・読み・例文・類語

こくぶ‐し【国分市】

国分

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「国分市」の解説

国分市
こくぶし

面積:一二二・五一平方キロ

県の中央部やや東寄りに位置し、東は姶良あいら福山ふくやま町・曾於そお財部たからべ町、北は姶良郡霧島町、西は同郡隼人はやと町に接し、南は鹿児島湾に面している。北方の霧島山地に源をもつ天降あもり川の支流手籠てご川や郡田こおりだ川が西部を、検校けんこう川が中央部から東部を、高橋たかはし川が東端域を流れる。これら河川の流域には沖積平野が発達し、合せて県内有数の国分平野を形成している。一方で北部は霧島山地に、東部は高隈たかくま山地に続いているため市域の約七〇パーセントは台地部で占められる。春山はるやま木原きはら・郡田・上野原うえのはら須川原すごばい黒石くろいし平下ひらしたなどの台地(地元では一般に原という)は標高二二〇―三五〇メートルで、シラス台地であるため豪雨の時には甚大な被害をもたらすことが多い。南部の海岸線は約六キロにわたっており、遠浅の砂浜海岸が多く、近世には干拓による開発が進められた。現在市内を国道一〇号・二二〇号、JR日豊本線などが通る。市名は古代の大隅国国分寺が所在したことに由来し、近世の国分郷を継承する。

〔原始〕

市域の遺跡は地形に呼応するように点在し、沖積平野(国分平野)からカルデラ(シラス)台地にかけての山麓付近および平野に面するカルデラ台地上に集中している。旧石器時代の遺跡は今のところ発見されていないが、調査が進めば市周縁部の平野に延びる舌状台地上に発見される可能性がある。縄文時代の遺跡は、早期・後期・晩期の遺跡が最近の発掘調査によって相次いで発見されている。とくに平栫ひらかこい遺跡や上野原遺跡は早期の県内屈指の遺跡として著名である。後期・晩期では鍛冶屋馬場かじやばば遺跡や妻山元つまやまもと遺跡などが知られる。弥生時代の遺跡はこれまでほとんど知られていなかった。しかし近年上野原遺跡で中期末の竪穴住居跡や掘立柱建物跡が、本御内もとおさと遺跡では後期の竪穴住居跡や破砕鏡などが発見されている。古墳時代になると、高塚古墳はみられないものの在地系の成川式土器を伴う遺跡が山麓付近やカルデラ台地上に点在するようになる。なかでもかめこう遺跡では土壙墓と考えられる遺構から金銅製三累環頭大刀などが出土しており、中央との強いつながりをもつ豪族が存在したことをうかがい知ることができる。

〔古代〕

市域は「和名抄」に記載される桑原くわはら郡と贈於そお郡の二郡にまたがる地域にあたると考えられるが、二郡のそれぞれどの郷を比定するかについては決めがたい。「続日本紀」によると和銅六年(七一三)四月に、日向国の四郡をさいて大隅国を分立させているが、ほぼその時点で大隅国府が市域に設置されたものとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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