日本歴史地名大系 「弥五郎新田」の解説 弥五郎新田やごろうしんでん 東京都:足立区弥五郎新田[現在地名]足立区足立二―三丁目・日ノ出町(ひのでちよう)・西綾瀬(にしあやせ)一―四丁目・弘道(こうどう)一―二丁目など千住町の東に位置し、南東に湾曲しながら流下する古隅田(ふるすみだ)川に臨む。北は次郎左衛門(じろうざえもん)新田。村域は大きく南北に分れ、古隅田川近くの字東五反野(ひがしごたんの)・西五反野・大原(だいばら)・糀野(こうじや)・沼田(ぬまた)と北の字精出(せいだし)に分れる。南部を水戸・佐倉道、中央を東西に伊藤谷(いとうや)村に至る道が通り、この道を境に北を新田、南を本田と称した。現在はかつての本田部分が近代に建設された荒川(旧荒川放水路)の河川敷となっており、荒川左岸と右岸に分断されている。草切は戦国時代の千葉氏の旧臣京極弥五郎で慶長―元和(一五九六―一六二四)の頃に開発したと伝え、京極屋敷が村南方にあった(鴨下家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by