当麻寺庄(読み)たいまでらのしよう

日本歴史地名大系 「当麻寺庄」の解説

当麻寺庄
たいまでらのしよう

興福寺一乗院領荘園。応永三四年(一四二七)の一乗院昭円講師反銭納帳(天理図書館保井文庫)の葛下郡に「重色廿六丁一反小卅八歩当麻寺 廿貫文納之」とある。当庄の始まりは官省符荘だったと考えられる。

康和三年(一一〇一)の定林寺妙安寺所司等解(法隆寺文書)には摂関家領平田ひらた庄に関して「御庄内所在之当麻寺官省符田町五斗三疋弁云々」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む