平田庄(読み)ひらたのしよう

日本歴史地名大系 「平田庄」の解説

平田庄
ひらたのしよう

広瀬郡・葛下郡にわたって散在した荘園。「康平記」康平五年(一〇六二)正月一三日条の、関白藤原頼通の「春日詣定」に「秣蒭、平田御庄」とあり、すでに摂関家領であったことがうかがえる。秣役をつとめたものである。次いで藤原頼長の日記「台記別記」の仁平元年(一一五一)六月二六日条の「可参春日社給雑事」の「饗」のうちに「前駈料卅前、平(田カ)御庄」とある。次に「猪隈関白記」の建久八年(一一九七)一〇月五日条の「殿下(藤原基通)御春日詣定」の「饗」のうちにも「前駈料卅前 平田庄」とある。以上について建長五年(一二五三)の近衛家所領目録(近衛家文書)によって、平田庄の本家職の相承次第を考えてみると、藤原頼通―師実―忠実―藤原泰子―忠通―頼長、保元の乱後再び忠通―基実―基通―近衛家実―兼経となろう。

鎌倉期には、摂関家が五摂家に分れた関係で、平田庄は近衛家領となり、以後も同家領として存続したと考えられる。その間、おそらく師実のとき、同庄年貢が相折(半分か)されて春日社等に寄進されている。前記近衛家所領目録の「年貢寄神社仏寺所々」のうちに「京極殿領内大和国平田庄以年貢相(折)春日社御塔、以用残宛他用」とある。寄進後の領家については「民経記」の安貞二年(一二二八)一〇月八日条に「此間自興福寺春日御塔勾当覚勝為使参入、在蔵人所、予居奥座承子細、平田庄田率御油事、任去寛治・養和例可究済之由云々」とあり、田率御油について興福寺の使者として春日社御塔の勾当が蔵人所に派遣されている。この田率御油は、「大乗院雑事記」文明一四年(一四八二)一〇月七日条に「平田庄田率御油ハ、一升別六百文也、五六十貫文料所也、目代并小目代三人徳分也、八庄官沙汰也」とあることから、興福寺寺務内の目代・小目代の得分にもなっていたことがうかがえる。また「民経記」に寛治(一〇八七―九四)・養和(一一八一―八二)の例とあるので、田率油は寄進時年貢のうちに含まれていたと考えられる。以上から寄進によって平田庄領家は興福寺がなったとみなしえよう。春日社御塔は得分をえたものと推測される。

その後の領家は「大乗院雑事記」の文明元年一一月二二日条では「一乗院領平田庄」とあるので、興福寺一乗院がなった。


平田庄
ひらたのしよう

厚見郡内にあった京都長講堂領庄園。現岐阜市街の南部に比定される。庄内に市俣いちまた革手かわて加納かのう六条ろくじよううずらの五郷があり、市俣郷以外はすべて現岐阜市内に遺称地がある。また当庄は東西に分けて称されることもあった。市俣郷の所在地は、鶉郷以外の諸郷がほぼ東西に並んでいること、および市橋いちはし庄の北に隣接し、のちに平田西庄(→西庄村とよばれる地域の郷名が不明であることなどから、岐阜市西荘にしのしようおよび市橋付近と推定される。

天徳四年(九六〇)一二月二七日の太政官牒(東南院文書)に奈良東大寺領の茜部あかなべ庄西境として「平田大路」とみえ、天喜元年(一〇五三)七月日の茜部庄司・住人等解案(東大寺図書館蔵)には「平田御庄」とあることから、この間に庄として成立したと思われる。その後、当庄の下司には厚見郡司厚見王大夫政則が補任されていたが、嘉保三年(一〇九六)以前に源国房によって併任していた茜部庄庄司の職を奪われたため、茜部庄域の五条中縄以北を公田と称して当庄加納に編入したという(永治二年一〇月日「茜部庄住人等解案」同館蔵など)


平田庄
ひらたのしよう

現在の大朝町岩戸いわど新庄しんじようみやしようの地域に比定される。平田庄の荘名がみえるのは南北朝以後であるが、文永一〇年(一二七三)一〇月五日付の僧覚実譲状案(吉川家文書)に「一所 安芸国寺原庄内平田宮庄子細見于養母凡氏女譲状、一所 同庄福光名内地頭給下地一町子細□□六郎高信譲状」と記され、平田宮ひらたみや庄および福光ふくみつ名は、初め現千代田ちよだ寺原てらばらを中心とする厳島社領寺原庄に属していた。これ以前、寛元元年(一二四三)一二月七日付の凡氏女譲状案(同文書)によると、平田宮庄は養母平田女房凡氏女から周防制多迦丸(覚実)に譲られ、また福光名の地頭給は平田六郎高信から同じく覚実に譲られ、いずれも文永一〇年に覚実からその子周防親基に譲渡された。


平田庄
ひらたのしよう

紀ノ川と和泉山脈の間、北野きたの宇田森うだもりなどを中心とする地域と考えられる。国府に隣接し、早くから開発が進んだ地で、長く国衙領として存続したと考えられるが詳細は不明。建長六年(一二五四)七月六日付紀伊国守護代・惣官請文案(御影堂文書)によれば、守護代によって動員された御家人のうちに「平田」の左馬允大中臣家宗がみえ、在地領主と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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