日本歴史地名大系 「後ヶ谷村」の解説 後ヶ谷村うしろがやとむら 東京都:東大和市後ヶ谷村[現在地名]東大和市狭山(さやま)一―五丁目・高木(たかぎ)一丁目・同三丁目・清水(しみず)五―六丁目・湖畔(こはん)一―三丁目・多摩湖(たまこ)一―二丁目・同四―五丁目・仲原(なかはら)一―四丁目・向原(むこうはら)一―二丁目・同四丁目・新堀(しんぼり)三丁目・清原(きよはら)二丁目・同四丁目清水村の西に位置し、南は小川(おがわ)村(現小平市)、西は高木(たかぎ)村、北は狭山丘陵。同丘陵の山根に溜井を用水とする水田が少し開けるが、畑が多かった(風土記稿)。田園簿に後ロ谷戸村とみえ、田八八石・畑二一二石、旗本溝口氏と同逸見氏が一五〇石ずつを知行。元禄郷帳には高三六八石余とあるが、延宝二年(一六七四)に宅部(やけべ)村を分村し、実際は高一六二石余で幕府領であった(「年貢割付状」杉本家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by