後川新田村(読み)しつかわしんでんむら

日本歴史地名大系 「後川新田村」の解説

後川新田村
しつかわしんでんむら

[現在地名]篠山市後川新田 はら籠坊かごぼ

後川上村の北東にあり、羽束はつか川が流れる。後川上村のうちで、篠山藩主松平忠国の代(元和六年―慶安二年)分立、延宝八年(一六八〇)頃に新田開発が進められたという(丹波志)。「丹波志」では余戸あまりべ郷の後川のうち新田とあり、高三〇石余。天明三年(一七八三)の篠山領内高並家数人数里数記では八上組のうち原新田村として家数二三・人数一一二。嘉永年間(一八四八―五四)には原新田村とも称し、北部を原、南部を籠保かごぼ(籠坊)とよんでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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