後草村
うしろぐさむら
[現在地名]海上町後草
干拓以前の椿海の南東端に位置し、南に多古銚子道が通る。東は蛇園村。北方に椿新田が成立すると後草村下高生村ができた。寛永一〇年(一六三三)椿海干拓以前の蛇園村、網戸村(現旭市)の村境争論裁許絵図(蛇園区有文書)に後草村が椿海の南縁にみえる。村内に舟川・沖ノ口・浪崎などがある。中世の初め、刑部岬(現飯岡町)の海食により居住しがたくなった七軒が移住し開発したと伝える(高梨家文書)。天正一八年(一五九〇)木曾義昌領になったとみられ、木曾氏旧領書上(外口家文書)に牛草村として高一六〇石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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