得位時枝庄(読み)とくいときえのしよう

日本歴史地名大系 「得位時枝庄」の解説

得位時枝庄
とくいときえのしよう

徳井とくい町を遺称地とする。徳井時枝庄とも記される。京都北野社領。応安七年(一三七四)九月二二日の後円融天皇綸旨(柳原家記録)に得位時枝庄がみえ、歓喜光かんきこう(現京都市山科区)寺務に補任された大納言僧都某へ祈祷料所として与えている。明徳元年(一三九〇)五月二五日の足利義満御判御教書(北野神社文書)では、覚円が北野社に寄進した当庄領家職を安堵している。長禄二年(一四五八)四月一六日には足利義政は当庄などを北野社松梅しようばい院禅親に還付した(「足利義政御判御教書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む