御供町
おんともちよう
東西に通る三条通(旧三条大路)を挟む両側町。東側を猪熊通(旧猪隈小路)、中央やや西寄りを黒門通が南北に通る。
平安京の条坊では、町の南側は左京四条二坊一保一町北、北側はほぼ三条大路上にあたる。平安中期以降は三条猪隈小路の西に位置する。平安時代、町の北側は御子左の域内にあたる(拾芥抄)。
「一代要記壬集」建治二年(一二七六)六月一四日条に「御霊会之間三条大宮篝屋狼藉ノ事出来」とある三条大宮篝屋が当町付近にあった。
応永三二年(一四二五)一一月一〇日付酒屋交名(北野天満宮史料)には「三条大宮東南頬 美濃 賢映」の名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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