御幸町通
ごこまちどおり
天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉による都市改造に際して開かれた通りで、現在の中・下京区を南北に貫通し、寺町通の西に位置する。「京羽二重」には、
<資料は省略されています>
と、名称由来と、当時の貫通区域を記している。一方、正徳四年(一七一四)刊行の「都名所車」には、右の「大阪御在城云々」が「伏見御在城の時」と記され、名称由来も、「此説信用しがたし」(宝暦一二年刊「京町鑑」)、「以
往来
御幸ト云フ習俗可
笑夫御幸ハ仙洞ノ御行ヲ云フ、御幸ハ天子ノ御行 ヲ云也」(山州名跡志)など、当時から諸説があったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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