御幸町(読み)ごこうまち

日本歴史地名大系 「御幸町」の解説

御幸町
ごこうまち

[現在地名]姫路市飾磨区御幸(しかまくごこう)

飾万(しかま)津の浦手(うらて)六町のうちの一つ。南は野田(のだ)川河口部の入江、西も同じ入江の湾入部で、御幸橋によって宮(みや)町北部へとつながる。町名の由来は、かつて花山法皇や後白河法皇が書写山参詣のため当地に上陸した時、御幸橋や御幸堂(光明寺)があったのにちなむという(飾磨町志)。元文五年(一七四〇)の地子銀高八三三匁余(姫路町飾万津町地子銀控)。弘化四年(一八四七)の飾万津中明細覚書(藤田家文書)によれば人数二〇四・竈数六三(本組二八・店組三五)。当町北端部の街道沿いに高札場があり、御幸橋の南東にあたる町内西部の沿岸部に池田輝政時代に姫路藩主の別荘として設けられ、榊原政邦時代に拡張されたという御茶屋がある(「飾磨里基解録」飾磨郡誌)。


御幸町
ごこうまち

[現在地名]新宮市船(ふな)町一―二丁目・上本(かみほん)町一―二丁目

神民(じんみん)町と上船(かみふな)町の間を南北に通る通りに沿う町で、「新宮領分見聞記」には「下馬より川原上り立の門迄」と記す。西は速玉(はやたま)神社。町名は同社の祭礼の折、神輿が渡御する道筋にあたることに由来するという(続風土記)。江戸時代初期頃の新宮古図(新宮木材協同組合蔵)には町名はみえないが、当町付近には町家が多くあり、ほかに社人が住していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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