御村(読み)みまやむら

日本歴史地名大系 「御村」の解説


みまやむら

[現在地名]いわき市内郷御厩町うちごうみまやまち

夏井なつい川支流のしん川右岸にあり、北対岸は御台境みだいさかい村、北東小島おじま村、南は上荒川かみあらかわ村。貞和二年(一三四六)正月日の岡本重親申状(岡本元朝家蔵文書)に「岩崎郡内 崎彦三郎隆俊跡内御厩村」とみえ、岩崎隆俊の所領であった。なお元弘元年(一三三一)九月二〇日に笠置かさぎ(現京都府)攻めのため鎌倉を立った幕府軍のなかに「岩崎弾正左衛門尉・高久同孫三郎・同彦三郎」がみえ、この彦三郎が岩崎隆俊であると考えられる(「太平記」巻三)。高久彦三郎隆俊は、暦応三年(一三四〇)三月二〇日の菊多きくた大畑おおはた山合戦で南朝方として戦っていることなどから(同四年二月七日「岡本隆広軍忠状」岡本元朝家蔵文書)、その所領は没収され、同年七月二日岡本重親に与えられた。


みまやむら

[現在地名]高松市御厩町

檀紙だんし村の西、本津ほんづ川右岸に位置。古代の官道南海道が通っていたと推定されており、南海道は当地から伽藍がらん山と六ッ目むつめ山の間を通って西方讃岐国分寺(現綾歌郡国分寺町)へ向かった。地名は南海道の駅にかかわって発生したものであろう。慶長六年(一六〇一)一〇月、香西こうざい郡の「中間・ミまや」の一四二石余が比々与三(矢原正方)に宛行われている(「生駒一正宛行状」矢原文書)。寛永国絵図に村名がみえるが、高は中間なかつま郷に一括されている。貞享高辻帳では高四六一石余。池泉合符録によると水掛高三千三三五石余の御厩池があり、当村分一千三三石余のほかは中間村八〇石、檀紙村五九〇石余、飯田いいだ村八六五石余、鶴市つるいち村七六六石余の田を灌漑した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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