日本歴史地名大系 「御殿場村」の解説 御殿場村ごてんばむら 静岡県:御殿場市御殿場村[現在地名]御殿場市御殿場・西田中(にしたなか)現市域の中央北東部、東流する抜(ぬけ)川の流域に位置する。村の中央を御殿場道・矢倉沢(やぐらさわ)往還(足柄街道)が南東―北西方向に走り、東は深沢(ふかさわ)村・東田中(ひがしたなか)村、西は西田中村・北久原(ほつくばら)村、北は清後(せいご)村、南は二枚橋(にまいばし)村。延宝六年(一六七八)の村鑑(吾妻神社文書)に「当町立初り、六拾三年以前卯ノ年、権現様足柄通駿河へ御通被為遊之由ニ而、御殿立被為遊候、其節町も拾町程立申候、夫より御殿場町と申伝候」とあり、元和元年(一六一五)に江戸―駿府間を往来する徳川家康のための休息所(御殿)が建設されたのが村の始まりである。なお新しい町が生れる以前は、杉原(すぎばら)・餅交(もちまじり)・上田中(かみたなか)・杉之内(すぎのうち)の四ヵ村があったという。家康の御殿建設ということから、町の成立には幕府の強い力が働いたようで、同二年四月二八日代官長野清定は、田中の有力者芹沢将監に御殿の普請造営を命じている(滝口家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by