日本歴史地名大系 「竹之下村」の解説
竹之下村
たけのしたむら
建久元年(一一九〇)一二月二七日、源頼朝は京からの帰路「竹下」に着いている(吾妻鏡)。貞応二年(一二二三)四月一五日「海道記」の作者は当地に宿泊、「山のこなたに竹の下といふ処に泊まる」などと記している。暦仁元年(一二三八)一〇月二七日、将軍九条頼経は上洛の帰途、当地に宿泊(吾妻鏡)、また歌人の飛鳥井雅有も竹之下宿に泊まり、「たびごろもなれにし里をへだてきてふたよになりぬ竹のしたぶし」と詠んでいる(隣女集)。日蓮は文永一一年(一二七四)五月一三日鎌倉から
竹之下村
たけのしたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報