御足軽町(読み)おあしがるまち

日本歴史地名大系 「御足軽町」の解説

御足軽町
おあしがるまち

[現在地名]能代日吉ひよし

東は御材木場おざいもくば、西は馬口労ばくろう町・羽立はだち町。

寛保元年(一七四一)の「代邑聞見録」に「御足軽町 建年不知」とあるが、佐竹氏移封直後から能代を支配した中田彦太夫は足軽二〇人を配下に置いていたから(窪田配分帳)早くから足軽の住家があったと思われる。「旧記抜書之ケ条」(三輪家文書)の元禄一五年(一七〇二)に「御足軽組頭三人ヘ、御材木場御普請ニ付御足軽二十四軒之屋敷被召上、新屋敷ヘ被移置候」とあり、同年廃町となったが、「新同町 元禄年中建」(代邑聞見録)となり、新御足軽町が同年立った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む