日本歴史地名大系 「御麻生薗村」の解説 御麻生薗村みおぞのむら 三重県:松阪市御麻生薗村[現在地名]松阪市御麻生薗町櫛田(くしだ)川中流の左岸にあり、東は庄(しよう)村、西は広瀬(ひろせ)村、北は根木(ねき)峠を越えて飯高(いいたか)郡大河内(おかわち)村へ続く。「倭姫命世記」垂仁天皇二二年の条に「吉志比女、地口御田、並御麻園進」とある。保安二年(一一二一)九月二三日付伊勢国大国庄流失田畠注進状(東寺百合文書)に「一御庄内麻生会(曾)村田一町」と記され、麻生会が当地と関連があるとすれば、平安期に大国(おおくに)庄(現多気郡)の一部に含まれていたといえる。建久六年(一一九五)九月二一日付二所太神宮神主解案(神宮雑書)によれば、「御麻生園神人御膳持丁安光」は「押妨石部重当旧領外宮御領(中略)致狼藉凌礫」と訴えられ、「罪科不軽」の処断を受けた。天文一五年(一五四六)書写の神服部内戸納帳(「神服大神部・神部家文書」神宮文庫蔵)に「御麻薗 神部殿」の記載がみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by