コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

蒲生氏 がもううじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蒲生氏
がもううじ

藤原姓。季俊の孫俊賢が源頼朝に仕え,近江国蒲生郡を領し,その子俊信から蒲生氏を称した。南北朝時代,秀朝が足利尊氏に従って戦功があり,戦国時代,定秀,賢秀は近江日野城に居を構え,織田信長,豊臣秀吉に仕えたが,特に賢秀の子氏郷は戦功多く,天正 12 (1584) 年伊勢松ヶ島城主,同 18年会津若松 42万石城主となった。寛永 11 (1634) 年断絶。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

がもううじ【蒲生氏】

平安~江戸初期の武家。鎮守府将軍藤原秀郷の次男千晴の子孫惟俊が陸奥国から上洛して平家に仕え,近江国蒲生郡を領して蒲生太郎と称したという。子俊賢は源頼朝に仕え,その後俊綱と子秀朝は足利尊氏に属して功があった。秀朝より7代目とされる貞秀とその子高郷は,近江守護佐々木六角氏に仕え,高郷の子定秀,孫賢秀は日野城主となった。賢秀は1568年(永禄11)六角氏が織田信長に滅ぼされたのち信長に属した。その子氏郷は信長・秀吉に仕え,歴戦の功により84年(天正12)伊勢松ヶ島12万石を与えられ(のち松坂に移る),90年会津黒川(若松)42万石(のち92万石)に封じられた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蒲生氏
がもううじ

戦国~安土桃山(あづちももやま)時代に武将として活躍し、江戸初期まで大名であった近江国(おうみのくに)蒲生郡(滋賀県蒲生郡)出身の豪族。「蒲生系図」では藤原秀郷(ふじわらのひでさと)流とされているが、蒲生稲置(いなぎ)の系統とも考えられている。戦国時代には日野(ひの)音羽(おとわ)城(蒲生郡日野町)を本拠とし、近江守護六角(ろっかく)氏の重臣となっていた。1568年(永禄11)織田信長入洛(にゅうらく)に際し、当主賢秀(かたひで)は信長に降(くだ)り、子氏郷(うじさと)を人質として差し出した。氏郷は信長・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の武将として活躍し、1590年(天正18)には会津(福島県会津若松市)に封じられ、73万石を領するに至った。しかし、子秀行(ひでゆき)、孫忠郷(たださと)・忠知(ただとも)が相次いで早逝したため、1634年(寛永11)蒲生家は断絶した。[池 享]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

蒲生氏の関連キーワード角屋七郎次郎(3代)福島県会津若松市栄町会津の起上がり小法師泰西王侯騎馬図屏風滋賀県蒲生郡日野町小牧・長久手の戦会津若松[市]レオ氏郷南蛮館蒲生八幡神社松山[市]会津慶山焼加賀山隼人小田原征伐佐久間勝之松阪[市]がもにゃん会津新藤五名古屋山三日野[町]曾根昌世

今日のキーワード

けものフレンズ

「けものフレンズプロジェクト」が展開するメディアミックス作品。略称は「けもフレ」。プロジェクト参画企業は株式会社ファミマ・ドット・コム、株式会社テレビ東京、株式会社KADOKAWAなど。マンガ家の吉崎...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

蒲生氏の関連情報