徳ノ森村(読み)とくのもりむら

日本歴史地名大系 「徳ノ森村」の解説

徳ノ森村
とくのもりむら

[現在地名]大洲市徳森とくのもり東大洲ひがしおおず

大洲盆地の東にそびえる神南かんなん(七一〇メートル)山塊の西北斜面とひじ川とその支流矢落やおち川の沖積低地に立地し、田畑相半ばする、村高一千四〇〇石の村。大洲藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多きた郡の項に「徳ノ森村 日損所、水損所、茅山有、川有」とある。肱川と矢落川の氾濫による水害が頻発した。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」には「米・大豆・麦・粟・紅花」の土産があり、「土地よろしと雖共水損之地にて作物十分ならず」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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