日本歴史地名大系 「徳居町」の解説 徳居町とくいちよう 三重県:上野市上野城下徳居町[現在地名]上野市徳居町西大手門からの西之立(にしのたて)町と三之町(さんのまち)筋の交わる十字路の東約半町、西一町強、南約二町、北約半町ほどの町。町域の南竪の通は通称西大手通ともいった(伊水温故)。三之町筋の西端にあたるので、藩政初期には三之末(さんのすえ)町ともよばれた。寛永六年(一六二九)より以前、藤堂高虎の晩年に作られた町という(永保記事略)。十字路より南約一町に墓の谷(はかのたに)の石橋があり、その下を城下町の西北半分の雨水下水が流れる。西大手門が慶事門であるため、「茅栗草子」によれば「西の大手条なれば、はれがましき事なれば、したたかにかけわたすべしと国守の仰せにより」堅固な石橋が作られた。同書によれば、橋の下にあおむけに置かれた座形の石地蔵があり、子供のおこりに功験があると信じられていたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by