上野城下(読み)うえのじようか

日本歴史地名大系 「上野城下」の解説

上野城下
うえのじようか

上野盆地中央部に東南山地から延びる洪積丘陵の舌状台地の北部の高所、標高一六〇―一八〇メートルの位置に上野城があり、その南側に市街が広がる。北を服部はつとり川と柘植つげ川、南を久米くめ川、西を木津きづ川本流が取囲む要害の地にある。天正一三年(一五八五)より筒井定次、慶長一三年(一六〇八)より藤堂高虎が拠り、明治維新まで藤堂氏の城下町として続く。藤堂氏の本拠は津であったが、伊賀一国の押えのため、近世を通じて城代家老が置かれた。

中世には平清盛の発願によって建立されたという平楽へいらく寺と薬師寺があり、それに付属する寺坊が数多くあったという。天正一三年伊賀に入部した筒井定次は、この二寺の故地を中心に築城を開始した。そのため城の石垣の中にかなりの数の石塔類が詰石として使用されていたという。定次は東部の高台に三層の天守閣を築き、北谷きただに口を表門、南を裏口とした。城の西と北を中心に城下町の整備も進められ、その重点は西の上野小田うえのおた(後の馬苦労町)と思われる。長田の西蓮ながたのさいれん寺の過去帳の天正一八年から慶長一九年までのものに、上ノ(野)小田町・大田町・上ノ殿町・上ノ本町・上ノ中町・上ノ西町・上ノ新町などの町名がみえる。これらの町名のうちには後筆かと思われるものもあるが、当時すでに城下町の形成が進んでいたことは間違いない。慶長一一年上野城下に大火があり、「当代記」に「筒井在所の上野の城焼も其侍町人家悉不遁此災、兵糧過分に失火と云々」とある。天守閣は火災を免れたが、この大火から復興する間もなく、同一三年筒井定次は家臣間の不統一を理由に改易された。

同年外様大名でありながら徳川家康信任の厚かった藤堂高虎が、伊予今治いまばり(現愛媛県今治市)から伊勢・伊賀・伊予の一部計二二万石余の大名として伊勢・伊賀に入部した。「宗国史」に「大将軍置寡人于此間、当有尊意在矣」とあるように、天然の難関である伊賀をもって、大坂方に対する備えとしたものであった。「累世記事」(上野市立図書館蔵)に「家康公より高虎公へ上意に門々櫓其外悉皆堅固にきつくへしとの密意也、大坂逆謀の底意に、大坂口にて利を失ひ候ハヽ、家康公此城にこもり、秀忠公は彦根の城を抱へ防へしとの密談也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上野城下の言及

【上野[市]】より

…俳人松尾芭蕉の出身地で俳聖殿など関係遺跡が多く,毎年10月12日には芭蕉祭が催される。【成田 孝三】
[上野城下]
 伊賀国の城下町,伊賀一円の行政・経済・文化の中心地。地名の初見は15世紀末の一条兼良《藤川記》で,15~16世紀は仁木氏の治下にあった。…

※「上野城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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