広禅寺(読み)こうぜんじ

日本歴史地名大系 「広禅寺」の解説

広禅寺
こうぜんじ

[現在地名]上野市徳居町

徳居とくい町の西南にあり、龍谷山と号し、曹洞宗、本尊釈迦牟尼如来。寺域内の墓地は一段低く、この辺り一帯を墓の谷はかのたにとよんだ。

「日本洞上聯灯録」によれば、越前慈眼じげん(現福井県南条郡今庄町)の開山天真自性の法嗣快翁玄俊が、応永二一年(一四一四)伊賀に広(興)禅寺を開き、次いで文安三年(一四四六)法嗣盟堂継主がこれに住したという。しかし寛文五年(一六六五)頃当寺一六世痴川宗愚によって書かれた龍谷山広禅寺伝記(広禅寺蔵)によれば、応永二一年頃快翁の開いたのは伊勢の伝法でんぽう(現安芸郡美里村)で、同二八年盟堂継主が第二世を継ぎ、八世麒山玄麟の永禄一二年(一五六九)頃、織田信長の北畠家攻略の兵火に際会、わずかに祖師像と祖師の法衣を持ち、伊賀山田やまだ河北かわぎた(現阿山郡大山田村)威徳いとく寺に逃れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報