必佐庄(読み)ひつさのしよう

日本歴史地名大系 「必佐庄」の解説

必佐庄
ひつさのしよう

古代蒲生郡必佐郷(和名抄)の地に成立したと思われる庄園。庄域は現日野町はさま十禅寺じゆうぜんじなどを含み、明治二二年(一八八九)に成立した南比都佐みなみひつさ村・北比都佐村一帯の日野川流域に比定される。久安三年(一一四七)四月一日の東大寺印蔵文書目録(東大寺文書)に「必作庄検田帳一通、貞観十三年」とあり、貞観一三年(八七一)以前に奈良東大寺領庄園として成立していたと考えられるが、比較的早期に衰退したものと思われ、天暦四年(九五〇)の東大寺封戸庄園并寺用雑物目録(東大寺文書)の近江国水田の項には庄名がみえず、弘安八年(一二八五)八月日の東大寺注進状案(東大寺文書)にも寺領として転倒しすでに知行の実質を失っていた近江国一四ヵ所の庄園の一に「必佐庄」があげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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