平安中期の公卿(くぎょう)。忠平(ただひら)の子、実頼(さねより)の弟。923年(延長1)従(じゅ)五位下(げ)。藤原邦経(くにつね)の女(むすめ)盛子と結婚、935年(承平5)28歳で参議、938年(天慶1)従三位(じゅさんみ)、権中納言(ごんちゅうなごん)、942年大納言。947年(天暦1)右大臣、従二位に進んだ。忠平の関白のあとは兄実頼が継いだ。日記『九暦(きゅうれき)』は日次(ひなみ)の記の『九暦抄』のほか『九条殿記』と称する儀式作法に関する記事のみを部類分けにした年中行事の別記があり、さらに父忠平の教えをそのまま書き記した『貞信公教命』がある。これらは、いずれも師輔が父忠平から受け継いだ儀式作法を非常にだいじにしたことを示すもので、兄実頼に対してわが家こそ父の作法を伝えているとの誇りをもっていたことが感ぜられる。師輔の儀式作法を集大成したものが『九条年中行事』であり、『九暦』の別記は、その準備段階のものであった。これらは『九条右丞(うじょう)相遺誡』とともに有職故実(ゆうそくこじつ)の九条流の祖となるものであった。天徳(てんとく)4年5月4日右大臣で薨(こう)ず。通称九条殿はその邸地による。
師輔は摂関にはならなかったが、人柄のよさから人望があり、また女(むすめ)安子(あんし)が村上(むらかみ)天皇の中宮となり、冷泉(れいぜい)・円融(えんゆう)天皇の母となり外戚(がいせき)の基を開き、子兼通(かねみち)・兼家、孫の道長と摂関を相承する基礎を築いたといえよう。
[山中 裕]
(村井康彦)
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908~960.5.4
平安中期の公卿。九条殿・坊城大臣とも。関白忠平の次男。母は源能有(よしあり)の女。931年(承平元)蔵人頭(くろうどのとう),935年参議,942年(天慶5)大納言。947年(天暦元)右大臣となる。955年正二位。女の安子(あんし)は村上天皇の中宮となり,冷泉(れいぜい)・円融両天皇を生んだ。子の伊尹(これただ)・兼通・兼家は摂関につき,以後師輔の家系が摂関の地位を占めた。有職(ゆうそく)故実の九条流の祖。著書「九条年中行事」「九条殿遺誡(ゆいかい)」,日記「九暦(きゅうれき)」。
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…平安朝に入り,律令制の衰退と藤原氏の政権掌握に伴い,陰陽道は権力者に利用され陰陽師の禁忌卜占が政治に影響するところが多く,貴族の御用的性格を帯びた宮廷陰陽道へと変わっていった。藤原良房の進出した仁明・文徳朝(833‐858)ころよりこの傾向は著しく,藤原師輔は《九条殿遺誡》《九条年中行事》を著して多くの陰陽道的禁忌や作法を明示し,宇多天皇も《周易》に詳しかった。かくて滋岳川人(しげおかのかわひと),弓削是雄(ゆげのこれお)ら名人が輩出し,川人は多数の著作をのこし日本における陰陽道の基礎をつくった。…
…右大臣藤原師輔の日記。もとは930年(延長8)ころより960年(天徳4)に没するまで約30年間にわたったものと思われるが,今はその一部分が(1)零細な断簡,(2)本記を抄出した《九暦》,(3)記事を事項別に分類した部類記である《九条殿記》,(4)師輔の父忠平の教命(きようみよう)を筆録した《九暦記》,(5)諸書に引用された逸文,として伝わり,これらを総称して《九暦》という。…
…右大臣藤原師輔が公卿としての心得を記した家訓。10世紀中ごろの成立。…
…平安中期の年中行事および一般行事についてその次第・作法などを記した書。著者は藤原師輔。兄の実頼とともに父忠平の教命を受け,実頼の小野宮流に対し,九条流の故実を伝えるために作成された。…
…すでに大宝令,養老令において中務省の内記がつかさどると規定されている〈御所記録〉が,中国において天子の日常の起居言行を史官が記録した起居注と同類のものとすれば,内廷の日記の一種とみなすことができるであろう。9世紀中ごろの藤原師輔の《九条殿遺誡》には,毎日起床後まず昨日の事を暦記に注して忽忘に備えよとおしえ,当時すでに宮廷貴族の間にも,日記記載の習慣が定着していたことを物語っている。その公家日記は,鎌倉時代までは巻子仕立ての具注暦に書きつけたものが多く,暦面の2~4行の空白に記載したので,暦記ともいわれた。…
…恒例,臨時の儀式,政務を記した著《西宮記(さいきゆうき)》は,以後の貴族政治における重要な典拠の一つとされ,現在も王朝政治・文化研究の貴重な史料である。彼は九条流の故実の祖である右大臣藤原師輔に信頼され,師輔は三女を彼の室とし,その女が没すると五女愛宮をその室とした。師輔が早く没したので彼は強力な後援者を失ったのである。…
※「藤原師輔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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