志々岐(読み)しじき

日本歴史地名大系 「志々岐」の解説

志々岐
しじき

中世にみえ平戸島地名。当地名を称する志々岐氏は式内社の志々岐神社の大宮司家で、寛元元年(一二四三)には「志岐宮司家安」が御家人の一人として、益田通弘と山代固後家尼の相論に際して証人となっている(同二年四月二三日「関東下知状」山代文書)弘安の役ではモンゴル船一艘が神社の近くに漂着してきたという(志々岐神社記)。正平九年(一三五四)六月日の座主増成免田畠等注文写(肥前河上宮古文書写)に「志々岐」とみえ、当地などの畠を所領とする鯖岡尼の後継者今村三郎五郎入道は正応五年(一二九二)以降に肥前一宮の河上かわかみ(現佐賀県大和町)の神役を対捍していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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