志方城跡(読み)しかたじようあと

日本歴史地名大系 「志方城跡」の解説

志方城跡
しかたじようあと

[現在地名]加古川市志方町志方町

現在の観音寺と志方小学校付近に所在した。「舟原掻上ケノ城」ともよばれ、中道子山ちゆうどうしさん城の支城とされる(「光明寺由緒覚書写別筆追加」光明寺文書)。鎌倉時代には原氏、永禄年間(一五五八―七〇)以降は櫛橋氏が城主とされるが(赤松家播備作城記)、原氏については疑わしい。櫛橋氏は赤松氏の被官であった。天正六年(一五七八)の三木合戦では櫛橋氏は神吉かんき城の神吉氏とともに三木城の別所長治に味方し当城に籠城している(別所長治記)。このため織田信忠を総大将とする神吉城攻めでは、北畠(織田)信雄が城の近くに陣を構え、櫛橋氏の動きを牽制している(「信長公記」同年六月二七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android