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別所長治 ベッショナガハル

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デジタル大辞泉の解説

べっしょ‐ながはる【別所長治】

[1558~1580]戦国時代の武将。播磨三木城城主。織田信長の命による羽柴秀吉の中国攻めに抗戦、2年の籠城ののち城兵の助命を条件に投降、自害した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

別所長治 べっしょ-ながはる

?-1580 戦国-織豊時代の武将。
祖父の代から東播磨(はりま)(兵庫県)を支配。美嚢(みなき)郡三木城主。天正(てんしょう)6年織田信長の中国進出に毛利氏とむすんで抵抗。羽柴(豊臣)秀吉の攻囲に2年余もちこたえ,食糧がつきて家臣の助命を条件に降伏,天正8年1月17日自害した。通称は小三郎。
【格言など】今はただ恨みもあらず諸人(もろびと)のいのちにかはるわが身と思へば(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

別所長治

没年:天正8.1.17(1580.2.2)
生年:永禄1(1558)
戦国時代の武将。父は長勝。播磨国(兵庫県)守護赤松氏の一族で,天正3(1575)年織田信長に出仕した。中国毛利攻めの先陣となるつもりでいたところ,羽柴(豊臣)秀吉が総指揮官に任ぜられ同6年播磨入りしたため,三木城に立てこもって信長に背いたという。一説には伯父賀相の讒言とも,協調関係にあった毛利氏に応じたものともいう。秀吉は織田信忠と共に三木城を攻めたが,東播磨の豪族や丹波波多野氏,そして同じく信長に背いた摂津の荒木村重も長治に呼応。当初は毛利軍による兵糧援助もあって2年近く三木城を支えたが,村重が敗れ,次いで秀吉が次第に支城を攻め落として三木城を孤立させつつ兵糧攻めを計ったため,城内では餓死する者が続出した。長治は城兵らの助命を条件に,兄弟と共に自害した。<参考文献>『兵庫県史』3巻

(石田晴男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

べっしょながはる【別所長治】

?‐1580(天正8)
戦国末期の武将。父は長勝。別所氏は赤松氏の一族で長治の曾祖父則治のころより,三木城を本拠に東播磨に勢をはった。1568年(永禄11)9月の足利義昭と織田信長入京のときには参戦し,義昭より御感を被ったという。78年(天正6)信長の中国進出には,毛利と結んで三木城に立てこもり,2年余にわたり信長方の将羽柴秀吉に抗したが,80年城中食糧尽き,家臣の助命を乞い自害した。【高木 傭太郎】

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大辞林 第三版の解説

べっしょながはる【別所長治】

1558~1580) 安土桃山時代の武将。東播磨三木城主。羽柴秀吉の中国攻めに抗戦、二年間籠城ののち自害によって城兵の命を許された。

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世界大百科事典内の別所長治の言及

【播磨国】より

…つぎに赤松義村と被官浦上村宗の争いがおこり,政情混乱のまま戦国時代に突入する。1575年(天正3)織田信長にあうため上洛した播磨の領主たちは,赤松広秀,小寺政職(まさのり),別所長治浦上宗景らであった。国内の安定は80年の羽柴(豊臣)秀吉の播磨検地からである。…

【三木[市]】より

…【小森 星児】
[歴史]
 美囊郡は古く〈みなぎのこおり〉と訓じ,中世には三木と書いて〈みなぎ〉と読ませたが,近世に〈みき〉と転じた。戦国時代末期には別所長治が三木城によって東播8郡に覇を唱えた。織田信長に反抗した長治は1578年羽柴(豊臣)秀吉の包囲攻撃に対し20ヵ月間籠城したが糧食が尽きて長治は自刃,士卒の助命を乞うて開城した。…

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