志知(読み)しち

日本歴史地名大系 「志知」の解説

志知
しち

大日(だいにち)川の中・下流域、現三原町志知を冠する一帯と西淡(せいだん)町東部の志知・志知南(しちみなみ)などの一帯に比定される。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文には国領の西神代(にしくましろ)郷に「志知此内也、但右馬允一在庁屋敷也、此外国中無志知庄也」と注記される。建武三年(一三三六)一月淡路の「阿間・志知」両氏は南朝に属し東坂本(ひがしさかもと)(現滋賀県大津市)にも馳せ参じ(「太平記」巻一七)、暦応三年(一三四〇)四月には志知氏らが後村上天皇の命で伊予に下向する途中沼島(ぬしま)(現南淡町)に着いた脇屋義助を城に招いて歓待したうえ備前の児島(こじま)(現岡山県)まで送り届けたという(同書巻二二)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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