日本歴史地名大系 「忠見別符」の解説 忠見別符ただみべつぷ 福岡県:八女市忠見村忠見別符現八女市東部の忠見に比定される。中世は上妻(こうづま)庄のうち。弘安七年(一二八四)一〇月三〇日の関東下知状案(有浦文書/鎌倉遺文二〇)に「上妻庄忠見名」とみえ、忠見安実の所領であった忠見名が吉田(よしだ)村(現佐賀県三田川町か)の代りに佐志源次郎勇の女子に与えられている。これは文永一一年(一二七四)のモンゴル襲来で勇やその父房が討死した恩賞として得たもので、康永元年(一三四二)上妻庄内多々見名本主泰真(忠見安実)の地頭職などが勇の孫の佐志勤より嫡子成に譲られている(同年一一月七日「佐志勤譲状」有浦文書/南北朝遺文(九州編)二)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報