(阿蘇品保夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
南北朝末・室町初期の肥後の武将。肥後守。幼名賀々丸(ががまる)、初名武興(たけおき)、法名常朝(じょうちょう)。1373年(文中2・応安6)・1374年、大宰府を追われ筑後高良山(こうらさん)に拠った征西府の柱石の祖父武光(たけみつ)・父武政が相次いで没し、若年で家督を継ぐ。以後征西将軍宮を擁して、九州探題今川了俊(りょうしゅん)らの武家方と、肥後北部を中心に戦いを続けたが、1381年(弘和1・永徳1)本拠の隈部山城(くまべさんじょう)(現、熊本県菊池市隈府(わいふ))を失った。南北朝合一に伴い、了俊は大友・島津ら有力守護への対抗上菊池氏の本領を安堵(あんど)し、武朝は事実上肥後守護の地位を得た。1395年(応永2)の了俊改易後は、探題渋川満頼と対立したが、その後も菊池氏は肥後の守護職を維持した。
[工藤敬一]
『阿蘇品保夫著『菊池一族』改訂新版(2007・新人物往来社)』
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…71年(建徳2∥応安4)九州に下向した九州探題今川了俊は守護に補任され,国内の宮方の攻略にもあたった。74年(文中3∥応安7)了俊は高良山に陣をとる菊池武朝を攻め,武朝は肥後に帰国した。幕府方は当国内の荘園の半済(はんぜい)を行い,武士に給与したが,給人による荘園押領があいついだため,幕府方は半済給人の違乱停止を命じている。…
※「菊池武朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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