日本歴史地名大系 「忽那山城跡」の解説 忽那山城跡くつなやまじようあと 愛媛県:松山市石手川下流域(旧温泉郡の大部分)北吉田村忽那山城跡[現在地名]松山市北吉田町銜山(くつわやま)城・轡山(くつわやま)城とも書く。松山平野の西部にある分離丘陵で、西は伊予灘に臨む中世の城跡。忽那島(現温泉郡中島町)に根拠地をもった忽那氏の伊予本土における枝城。忽那島の東南方海上一五キロの地点にある。「忽那嶋開発記」の一八代忽那因幡守藤原通定(応永―文安頃の人)の条に、彼を「温泉郡吉田銜山城主」と記している。ことに室町後期に忽那氏が近海における制海権を失い、伊予本土に地盤をもつようになってから、忽那山は重要な拠点となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by