改訂新版 世界大百科事典 「怡土荘」の意味・わかりやすい解説
怡土荘 (いとのしょう)
筑前国怡土・志麻両郡(現,福岡県糸島市)の荘園。田数1450町余。待賢門院璋子御願の仁和寺法金剛院領最大の荘園。1131年(天承1)ごろ成立。門院別当であった大弐藤原経忠の働きかけで,国郡司や在地領主が呼応して立券したらしい。当初,本家たる皇室が荘務権を握り,預所に後白河法皇近習藤原能盛を補任。後鳥羽院が管領のときに承久の乱が起こり,幕府に没収されたが,翌年返還された。このころから領家仁和寺が荘務を進退し,供僧(ぐそう)を預所に補任。蒙古襲来を境に関東御領化し,北条氏が郡単位に怡土方,志麻方に分けて支配し,また大友氏などの元寇恩賞配分地にも充てられた。在地勢力が強かったが,在地領主の原田,中村,王丸氏らが,筑前守護少弐氏の被官となり,仁和寺の支配は14世紀中ごろには解体した。荘園年貢公事の全貌は不詳。荘内に貿易港今津を擁し,中央政局の影響を受けやすく蒙古襲来の被害も被った。怡土方恒吉,王丸名など名主の存在状況を知る史料に恵まれる。
執筆者:正木 喜三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報