今津湾と福岡湾の間に東方に突き出た半島部に比定される。中世は
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筑前国糸島郡(現,福岡県福岡市西区)の地名。福岡市の西郊,博多湾に面して位置し,さらに湾入して今津湾を形成している。大宰府の外港として博多には遣唐使をはじめ外国貿易の船が入港したが,鎌倉時代ごろまでは博多湾の入口に近い今津がこれらの船の寄港地であった。とくに日宋貿易が盛んになった平安末期以降は宋船が頻繁に着岸した。1175年(安元1)宋から帰国した栄西は今津誓願寺に滞在しており,さらに源平争乱のさなか誓願寺に下向止宿して宋からの一切経の到着を待った。また1271年(文永8)9月モンゴルの使者趙良弼が今津に到着した。74年10月19日モンゴル軍は今津に上陸し,博多に迫った。76年(建治2)3月から再度のモンゴル襲来に備えるため博多湾沿岸の今津から香椎までの約20kmにわたって石築地(いしついじ)を構築したが,今津地区約3kmは大隅・日向両国の御家人が分担して構築された。1968年今津地区石築地の発掘調査が行われ,その一部遺構の保存工事が施された。都市化により石築地が破壊されつつある中で,今津地区では最もよく残存している。
執筆者:瀬野 精一郎
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滋賀県西部、高島郡にあった旧町名(今津町(ちょう))。現在は高島市中部を占める地域。琵琶(びわ)湖西岸に位置する。旧今津町は1906年(明治39)町制施行。1955年(昭和30)川上、三谷の2村と合併。2005年(平成17)マキノ、安曇川(あどがわ)、高島、新旭(しんあさひ)の4町および朽木(くつき)村と合併して高島市となる。地域の東部は沖積平野で、西部は古生層の山地で占められる。中心の今津は古くからの港津で、湖西における水陸交通要衝として栄えた。1974年の現JR湖西線(こせいせん)開通で京阪神との結び付きが強くなった。国道161号、303号、367号が通じる。産業は米作が主で淡水漁業も行われる。箱館(はこだて)山にはスキー場があり、饗庭野(あえばの)には自衛隊基地がある。湖岸には今津浜水泳場があり、今津港からは竹生(ちくぶ)島めぐりの観光船が出航する。
[高橋誠一]
『『今津町史』全4巻(1997~2003・今津町)』
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