恵曇郷(読み)えともごう

日本歴史地名大系 「恵曇郷」の解説

恵曇郷
えともごう

和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠いているが、エトモとする。「出雲国風土記」によれば秋鹿郡四郷の一つで、郡家の北東九里余に郷長の家があり、郷名は初め恵伴で、磐坂日子命(須佐能乎命の子)が国巡りのとき当地に至り「此の処は国稚く美好し。国形、画鞆えともの如くなるかも。吾が宮は是処に造事らせむ」といったことに由来するという。神亀三年(七二六)恵曇に改めたとある。この吾が宮は恵杼毛えとも社で、「延喜式」神名帳には恵曇神社とみえ、現鹿島かしま町恵曇の恵曇神社に比定される。また風土記には恵曇海辺えとものうみべ社も記載されるが、同社は同町佐陀本郷の恵曇さだほんごうのえすみ神社とされる。恵曇浜は広さ二里余で、現同町の恵曇漁港の海岸に比定される。周囲六里余という恵曇陂には鴛鴦・鴨・鮒がみられ、養老元年(七一七)以前にはハスが叢生していたが、翌年以降自然に失せたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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