獣骨を用いる占いを骨卜といい,その骨を卜骨とよぶ。亀の甲を用いるときは亀卜といい,その甲は卜甲である。羊,ヤギなど家畜の骨の形や色などで占う法は,西アジア,北アフリカ,ヨーロッパにおいて,また,羊,鹿などの骨を火で熱してひびの入り方で占う法は,東ヨーロッパ,北・中央アジア,北アメリカでそれぞれ古記録に記され,民族例としても知られている。モンゴルでは現在も羊の右肩甲骨を熱する占いが行われている。中国,朝鮮半島および日本では,骨や甲を点状に何ヵ所か灼(や)き,ひびの形状で占う法が行われた。したがって卜骨・卜甲といえば本来はこの点状灼法(しやくほう)によるもののみをさす。中国では山東省城子崖(竜山文化)など新石器時代後期に羊,牛,豚かイノシシ,鹿の肩甲骨を占いに用いている。灼く個所をあらかじめ彫りくぼめた〈鑽(さん)〉をもつものもある。河南省安陽の殷墟からは,国事の決定を占うために用いた卜甲(背より腹の甲の方が多い)や,牛か羊の肩甲骨を材料とする鑽のある卜骨が大量に見いだされており,その数は10万を超えるという。占いの結果を甲骨の表面に刻んだ甲骨文は,最古の漢字として名高い。〈卜〉も縦横両方向のひびわれを示す甲骨文に由来する。
朝鮮半島では咸鏡北道茂山虎谷遺跡でマンシュウジカ,慶尚南道東三洞朝島遺跡,金海市府院洞遺跡で鹿,イノシシの実例をみる。原三国時代(前100-後300)に属し,日本の骨卜の起源とかかわることが知られる。
日本では,灼骨(しやつこつ)とも呼び,弥生時代前期(島根県松江市古浦遺跡)以来,古墳・奈良時代にかけての実例が,西は長崎県壱岐(壱岐市原の辻(はるのつじ)遺跡)から,関東地方までの各地で29遺跡138例知られている。とくに三浦半島の洞窟遺跡(神奈川県三浦市間口および毘沙門洞穴B・C)からは,弥生~古墳時代の実例がまとまって出土している。日本の卜骨は鹿を用いるものが多い。しかし,イノシシ,イルカを使うものもある。また実例としては肩甲骨が多いが,肋骨を用いたものもある。卜甲は古墳時代に出現し,卜骨と並び行われる。弥生時代の卜骨の鑽が円形であるのに対し,卜甲の鑽は正方形で,十字形に灼痕(しやつこん)をとどめる。《魏志倭人伝》は,倭人が骨卜で吉凶を判じたことを記し,記紀では神代の国生みの条,天岩屋の条に骨卜が太占(ふとまに)の名で見え,また牡鹿の肩甲骨を用いたとも記している。亀卜は〈欽明紀〉に初めて見える。《万葉集》には〈……卜部(うらべ)坐ませ亀もな焼きそ……〉と亀卜を詠みこんだ歌がある。《延喜式》には,亀卜用の亀甲の調達,鑽を作るための卜鑿(ぼくさく)についての記事があり,そして亀卜を行う世襲の卜部を対馬,壱岐,伊豆から徴したことが見える(卜部氏)。円仁の《入唐求法巡礼行記》は839年(承和6)遣唐船が帰途につく際に亀卜を行ったことを記すが,航海にかかわる亀卜の秘事口伝は,近世にいたるまで対馬で伝えられてきた。骨卜・亀卜についての古代からの記録および研究はひじょうに多く,《古事類苑》神祇部42〈亀卜〉の項はこれを集成している。宮中で行われた亀卜として最も新しいのは,大嘗祭(だいじようさい)用の新穀を供する県を決めるために1990年2月8日に行われたもので,小笠原産のアオウミガメを用い,悠紀(ゆき)を秋田県,主基(すき)を大分県に決している。現在なお亀卜を伝えるのは対馬の雷神社(長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)),骨卜は東京都青梅市御岳神社と群馬県富岡市貫前(ぬきさき)神社(鹿卜(かうら)神事)に伝えられている。
→占い(うらない)
執筆者:佐原 眞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(2015-2-2)
…その方法は,《古事記》天岩屋戸の段に〈天香山の真男鹿(まおしか)の肩を内抜きに抜きて,天香山の天波波迦(あめのははか)を取りて,占合(うらない)まかなはしめて〉とあるように,鹿の肩甲骨を波波迦(ははか)(カニワザクラのこと,ウワミズザクラの古名という)にて焼き,割れ目の模様でうらなうものであった。卜骨の出土例は弥生時代からあり,そのほとんどがニホンジカであるといい,これを裏付けている。令制以降は鹿卜から亀卜へと変わった。…
※「卜骨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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