感田庄(読み)がんだのしよう

日本歴史地名大系 「感田庄」の解説

感田庄
がんだのしよう

直方市北部、遠賀おんが川右岸の感田を遺称地とし、同所を含む一帯に比定される。天皇家領で、領家職は藤原長実から中御門家、さらに西園寺家へ伝領された。感田は感多とも記した。文治五年(一一八九)閏四月二一日の八条院庁下文案(西園寺文書/鎌倉遺文一)に「感多御庄」とみえ、当庄の預所に中御門宗家(内大臣宗能の子息)の妻(尼清浄蓮、藤原俊成の娘か)が補任されている。建久八年(一一九七)の図田帳によれば、「感田」は粥田かいた庄の加納で六〇町あったという(正中二年四月五日「鎮西下知状」金剛三昧院文書/鎌倉遺文三七)。建仁三年(一二〇三)尼清浄蓮は猶子法眼公暁(西園寺実宗の子)に当庄の預所職を譲り、八条院庁から安堵されている(同年一一月一七日「八条院庁下文案」西園寺家文書/鎌倉遺文三)。当庄は中御門内大臣(宗能)が妻の藤原長実の娘から相伝した私領で、長実の父藤原顕季は白河院乳父で大宰大弐に、長実自身も大宰権帥になっているので、この頃に家領となったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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