成都揚子山漢墓(読み)せいとようしざんかんぼ(その他表記)Chéng dū yáng zǐ shān hàn mù

改訂新版 世界大百科事典 「成都揚子山漢墓」の意味・わかりやすい解説

成都揚子山漢墓 (せいとようしざんかんぼ)
Chéng dū yáng zǐ shān hàn mù

中国,四川省成都市北郊小揚子山と揚子山にかけて営まれた漢墓群。そのうち揚子山1号墓は墓室に画像塼と画像石をあわせ装飾する。前室は塼築で,左右壁の途中に長さ49cm,高さ43cmの画像塼をはめこむ。両壁とも外側けつ)の画像で,左壁は車馬,騎吹,弋射(よくしや)収穫の,右壁は騎吹,車馬,騎吏の画像が続く。中室は下部を石材で築き,中間に画像石を飾り,上部は塼築である。画像石は高さ47cm,右壁は長さ6.04mで長大な車馬行列を,左壁は長さ5.12mで前部は右壁に続く車馬行列,中部後部は宴楽,雑伎をあらわしている。後室は塼築で画像はない。墓室壁画を計画的に画像塼で飾る構造は四川省画像塼墓の特色で,揚子山にも他に3基あるが,1号墓のごとく画像塼・石併用墓は他に例がない。揚子山発見の画像塼,画像石ともに豊富な題材をもち洗練された画像表現を示す。年代は後漢晩期から三国時代に比定される。
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