出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
古代中国の宮殿,祠廟,陵墓などの門前の両脇に張り出して左右対称に設けられた望楼。中間が闕然として何もないことから,その名がある。闕の名称は西周時代の文献にすでに見える。一般に高い基壇の上に楼閣を立てたが,のちには石造でそのかたちをかたどったものもつくられた。実物としては高頤(こうい)闕などの漢代の石造墓闕や,画像石に描かれたもの,壁画墓の墓道両脇に描かれたもののほか,北京故宮の午門がこの形式になる。
→石闕
執筆者:田中 淡
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… 絶対王政と深く結びついたこの宮廷は,宮廷対地方という構図で展開したイギリス革命において地方に打ち破られ,フランス革命においてもまた,ルイ16世のパリへの連れ戻し,ついでその処刑によって解体することになる。【二宮 宏之】
【中国】
中国では,宮廷というのは帝王の居処のことであり,宮庭とも書かれ,〈朝廷〉〈宮闕(きゆうけつ)〉あるいは単に〈朝〉〈闕〉といわれ,しばしば商品交易の場である〈市〉と対して呼ばれた。《周礼(しゆらい)》考工記によれば,国都を造営する際には,中央に王宮をおき,東に宗廟,西に社稷(しやしよく),前方つまり南に〈朝〉,後方つまり北に〈市〉を設けたし,《周礼》全体の記述からみると,天子には三朝があったことになり,路門より内側を天子の日常起居する場所である燕朝といい,路門外,応門内を天子が毎日臨御して政事をみる場所たる治朝といい,応門外,皋門(こうもん)内を朝士が政事をつかさどる場所たる外朝といったとされ,全体を内朝と外朝とに二大別するときは燕朝と治朝をあわせて内朝といったのである。…
…中国古代において,城門,宮殿,祠廟,陵墓などの入口に立てた1対の高層建物を闕とよんだ。闕の名はその間が欠けて道路になることから,よんだとする説が有力である。…
…明・清時代の宮殿である紫禁城が,天安門から端門,午門,太和門を経てはじめて太和・中和・保和三殿の中心部に達する構成をもつのは,こうした古代の制度を踏襲した結果である。古代の宮殿などの大門には,前方左右対称に張り出した門楼を付設する闕(けつ)という形式が常用され,その制度は紫禁城午門に現存する。これらの城門や宮門は,通常,高い基台をもち,その下部をくりぬいた門洞とし,上部に門楼をいただく形式になる。…
※「闕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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