戸呂町村(読み)へろまちむら

日本歴史地名大系 「戸呂町村」の解説

戸呂町村
へろまちむら

[現在地名]山形村戸呂町

現山形村の北部、久慈川支流の戸呂町川流域を占め、北は水沢みずさわ(現大野村)蛇口へびぐち(現軽米町)、南は日野沢ひのさわ村。全域が丘陵地帯で、川に沿って集落が形成されている。天保八年(一八三七)の仮名付帳ではトロマチムラと訓じている。正保国絵図に村名がみえ、高二八石余。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳では田四石余・畑四一石余。天保五年の南部領高辻帳による〆高は田五石余・畑五九石余。同八年の仮名付帳では枝村として日ノ沢村をあげる。大野おおの六ヵ鉄山の一つである金取かねとり鉄山は大野村(現大野村)の晴山氏が経営してきたが、天保五年から軽米かるまい(現軽米町)の淵沢氏(元屋)が経営し、同年は四五〇貫の生産があった(「鉄山御用日記」元屋文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む