九戸郡
くのへぐん
面積:一〇六二・四三平方キロ(境界未定)
野田村・山形村・九戸村・軽米町・大野村・種市町
県の北東端に位置。近世の郡域は、北は三戸郡、西は二戸郡、南は岩手郡・閉伊郡に接していたが、現在は久慈市の成立により、南東部の野田村とほかの二町三村に二分され、北は青森県三戸郡階上町・南郷村・名川町、西は二戸市・二戸郡一戸町、南は岩手郡葛巻町および下閉伊郡岩泉町・普代村に接する。東は太平洋に面し、陸中海岸国立公園の北端を占める。郡の東部はなだらかな準平原地形が広がり、全体として東に傾斜して海に至る。中部・西部は丘陵地帯で、沖積地は狭い。北部県境に種市岳(階上岳、七四〇・一メートル)・久慈平岳(七〇六・三メートル)が、南には男和佐羅比山(八一三・九メートル)・女和佐羅比山(七四四メートル)・遠島山(一二六二・七メートル)・遠別岳(一二四一メートル)・平庭岳(一〇五九・八メートル)・多々良山(九七〇・六メートル)が連なり、白樺が自生する。西部は折爪岳(八五二・二メートル)・小倉岳(六五二・三メートル)と続く山脈である。この山脈の東縁には葛巻構造線と称する断層があり、青森県から葛巻町まで続く。
多々良山周辺から発した瀬月内川は西部山脈の東縁を北流し、郡の北端で雪谷川と合流して新井田川となり、青森県八戸市で太平洋に注ぐ。他の河川は中部丘陵地帯から発して東流し、太平洋に注ぐ。北から有家川・高家川・久慈川・安家川などがある。中部の丘陵地帯は年間降水量が少なく、寒暑の差が大きい。また郡の全域が初夏に北太平洋から来る冷涼な偏東風(やませ)にさらされて、農作物は被害を受けやすい。鉄道は海岸地帯を縦貫する。八戸市から久慈市まではJR八戸線、久慈市から宮古市までは三陸鉄道北リアス線が通る。東北自動車道八戸線(八戸自動車道)が一戸町から九戸村に入り軽米町を経て南郷村に向かう。国道には海岸地帯を縦貫する四五号、軽米町・九戸村を縦貫する三四〇号、久慈市と二戸市を結ぶ三九五号、久慈市と岩手郡岩手町を結ぶ二八一号があり、三四〇号を除きJRバスが運行されている。
古代・中世を通じて九戸郡の名はみえない。寛永一一年(一六三四)の領内郷村目録(盛岡市中央公民館蔵)に郡名の記載があるので、この頃正式に郡として把握されたものとみられ、それ以前は糠部郡および久慈郡に含まれたと考えられる。ただし九戸の地名はいわゆる九戸・四門の一として、元弘三年(一三三三)一二月一八日の北畠顕家国宣案(白川結城文書)に糠部郡のうち「九戸」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の九戸郡の言及
【糠部】より
…岩手県北部の二戸郡,九戸郡あたりと,下北半島を含む青森県東部一帯の地域の中世の郡名。郡とはいっても古代には見えないもので,平安時代末以後の中世に特有のものである。…
※「九戸郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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