日本歴史地名大系 「九戸郡」の解説
九戸郡
くのへぐん
県の北東端に位置。近世の郡域は、北は三戸郡、西は二戸郡、南は岩手郡・
多々良山周辺から発した
古代・中世を通じて九戸郡の名はみえない。寛永一一年(一六三四)の領内郷村目録(盛岡市中央公民館蔵)に郡名の記載があるので、この頃正式に郡として把握されたものとみられ、それ以前は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
県の北東端に位置。近世の郡域は、北は三戸郡、西は二戸郡、南は岩手郡・
多々良山周辺から発した
古代・中世を通じて九戸郡の名はみえない。寛永一一年(一六三四)の領内郷村目録(盛岡市中央公民館蔵)に郡名の記載があるので、この頃正式に郡として把握されたものとみられ、それ以前は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…岩手県北部の二戸郡,九戸郡あたりと,下北半島を含む青森県東部一帯の地域の中世の郡名。郡とはいっても古代には見えないもので,平安時代末以後の中世に特有のものである。…
※「九戸郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...