戸沢仁三郎(読み)トザワ ニサブロウ

20世紀日本人名事典 「戸沢仁三郎」の解説

戸沢 仁三郎
トザワ ニサブロウ

大正・昭和期の生協活動家 日本生活協同組合同盟中央委員。



生年
明治22(1889)年2月13日

没年
昭和49(1974)年4月5日

出生地
東京市本所区番場町(現・東京都墨田区厩橋)

学歴〔年〕
東京府立職工学校〔明治39年〕卒

経歴
芝浦製作所に入社するが、自立を目指して各地の工場を渉り歩く。大正3年川崎造船所に勤務する頃友愛会に参加。大正9年友愛会を脱退、純労働者組合結成に参加し、理事長。11年機械労働組合連合会を組織。アナキズム派として、多くの労働運動を指導。この間10年に消費組合「共働社」をつくり、13年消費組合連盟(のちの関東消費組合連盟)の主事になり、のち消費組合運動に専念。14年にはソ連金属労組の招きで訪ソ。昭和6年共産党入党し、12年検挙される。戦後は20年日本生活協同組合同盟を創立し、中央委員。21年東京都生活協同組合連合会専務理事、26年日本生活協同組合連合会顧問を務め、生協運動発展のために尽力した。また共産党に再入党した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸沢仁三郎」の解説

戸沢仁三郎 とざわ-にさぶろう

1889-1974 大正-昭和時代の社会運動家。
明治22年2月13日生まれ。友愛会にはいるが大正9年脱退し,純労働者組合を結成。ソ連視察後の15年共働社組合長となる。昭和6年共産党に入党。翌年日本無産者消費組合連盟を創設。戦後,日本生活協同組合同盟を組織した。21年東京都生活協同組合連合会専務理事。昭和49年4月5日死去。85歳。東京出身。東京府立職工学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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