戸田一西(読み)とだ かずあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田一西」の解説

戸田一西 とだ-かずあき

1541-1602 織豊-江戸時代前期の武将,大名
天文(てんぶん)10年3月生まれ。徳川家康につかえ,数々の戦功をたてる。武蔵(むさし)高麗(こま)郡(埼玉県)鯨井5000石,近江(おうみ)大津3万石をへて,慶長7年近江膳所(ぜぜ)藩主戸田家初代となる。3万石。慶長7年7月25日死去。62歳。三河(愛知県)出身。前名は政成,信世,康次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸田一西の言及

【膳所】より

…城を核として東西にのびる西ノ庄,木ノ下,膳所,中ノ庄,別保5ヵ村は町分を形成し,町中に東海道を通して,以後城下町として繁栄した。1601年(慶長6)初代城主は戸田一西(かずあき),その後城主は代々譜代の本多,菅沼,石川氏と交代し,51年(慶安4)再度本多氏が入封,近江国内で6郡,河内国内で3郡の膳所藩7万石(のち分封し6万石)を領有し,明治維新に至った。1901年に町制施行,33年大津市と合体した。…

【戸田氏】より

…そして尊次の四男正次(ただつぐ),忠昌の五男忠章(ただあきら),足利戸田家2代忠時の子忠義は旗本としてそれぞれに別家を興した。 宗光の4世の孫氏輝より出たとされる美濃国大垣城主の戸田家は,家康,秀忠に仕えた戸田一西(かずあき)が近江国大津城から同国膳所崎(ぜぜがさき)に築城して移され,その子の氏鉄(うじかね)が摂津国尼崎城主へ,そして1635年(寛永12)に大垣城主10万石に移封されて,明治に至った(大垣藩)。大垣新田藩祖の氏経,美濃国大野郡牛洞(うしぼら)に本拠をもつ旗本戸田氏の祖氏照は,氏鉄の次男と六男である。…

※「戸田一西」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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