朝日日本歴史人物事典 「戸田忠昌」の解説
戸田忠昌
生年:寛永9(1632)
江戸前期の老中。三河田原,肥後天草,武蔵岩槻,下総佐倉藩主。伊賀守,越前守。旗本戸田忠次の長男。母は家臣伴忠好の娘。田原に誕生。伯父の田原藩主戸田忠能の養子となり,正保4(1647)年襲封,1万石。寛文4(1664)年肥後天草2万1000石。同11年奏者番,寺社奉行を兼任,所領を武蔵,相模,下総,常陸のうちに移される。延宝4(1676)年京都所司代,所領を畿内に移され3万1000石。天和1(1681)年4万1000石,老中に進む。翌年岩槻に転封,5万1000石,貞享3(1686)年佐倉に移封,6万1000石。元禄7(1694)年7万1000石。老中在職のまま死去。転加封を重ねながら幕府の要職を歴任した,江戸前期の吏僚的老中。<参考文献>徳田浩淳編『史料宇都宮藩史』
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報