所口村
ところぐちむら
[現在地名]七尾市所口町・魚町・亀山町・馬出町・西藤橋町
所口町の南に広がる平地に位置し、内浦街道が通る。建武三年(一三三六)八月二七日の能登守護吉見頼顕書下(能登生国玉比古神社文書)に所口とみえ、頼顕が気多社衆徒中に、気多本宮(現能登生国玉比古神社)の所口免田に対する地頭甲乙人の狼藉停止を命じている。貞和五年(一三四九)四月八日には能登国衙が気多本宮院主に対し、所口の供僧・神官らが国命に違背したことにかかわり上裁を奉じ、以後本宮の神免田に国衙の干渉なき旨を告げている(「能登国宣」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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