所石村
ところいしむら
[現在地名]豊田市石楠町 所石
巴川の支流仁王川よりやや北にはいる山間の村。仁王―所石―大楠を結ぶ常寒道が通る。近世初めは幕府領、寛永四年(一六二七)奥殿藩領となり明治に至る。慶長九年(一六〇四)に、辰巳藤右衛門による検地が行われ、検地帳写(所石区有)によると名請人八人のうち二反未満が四人、屋敷持は三人である。
明治九―一〇年(一八七六―七七)の地価査定では、所石村の田畑の反当収量は田七斗八升・畑四斗三升で、最高位の上伊保・梅ヶ坪の田一石六斗八升の半分以下、挙母の畑一石八斗五升の四分の一以下であり、山がちの村の特徴を示す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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